ロケット博士の糸川英夫さんが亡くなりました。戦後の混乱がまだおさまらない時期に宇宙開発の研究をスタートした、日本のロケット開発の草分けで、文部省宇宙科学研究所の生みの親です。60歳を過ぎてからバレー(バレーボールではありません)を始めたというマルチ人間ですが、「逆転の発想」など意表をつく発想が面白い先生でした。
日本はいま景気の底にあって失業率は最悪、大幅な財政赤字、先の見えない年金、介護など、問題点は山積していますが、なかでも若者の無業、無気力、学校嫌い、理科離れは、技術、製造業で生き残っていこうという日本にとっていちばん深刻な問題ではないでしょうか。今回はこのあたりを考えてみます。
以下は糸川先生が招かれてインドを訪れて見た光景の一部です。インドのある断崖絶壁のせまる難所の道で車をとめたときの話(一部省略)[1]。
「断崖の端にあった岩かげから、突如、三人の少年が現れた。八歳くらいと見えた。三人はキャンディーを手にして、買わないか、という。この人影の全くない、岩かげから突如現れた移動セールスマンには驚きであった。一個いくらだというと、二ルピーという。四個買って、十ルピー札を出した。少年たちの顔に、活気がみなぎった。「やった」という感じである。十ルピー札を手にすると、三人は、それこそ脱兎の如く、岩かげに走っていった。何と、おつりの二ルピーをとってきたのである...改めておつりの二ルピーを「バクシー(施し)」した。子供たちは、口々に「神が幸せをあなたの頭に」と唱えると、再び、脱兎の如く岩かげに走っていった...岩かげをのぞいたら、二ルピーを三人で等分するために、小銭にかえて、分配している最中だった。...一日何台、車が通るかわからない、家一軒建っていない山道で、しかも、とまる車が何台あるかわからない状態で、三人でキャンディを仕入れ、「合資会社」をつくって、岩かげに営業所をひらき、ひたすら「商機」を待つ、という少年たちの生き方は感動的であった」。
また道端の店を手伝うやはり八歳くらいの男の子の話。茶碗洗い、テーブル準備から、お客へのお茶のサービスまで一人でやっている。「...給料いくらもらってるの」、「ジャスト・ヘルプ」。「お前は利口だ。高校位までは行った方がいいね」、「ノー、大学まで行く」と決然たる答えがハネ返ってきた」。
この幼さで、この生活力とこの意欲。うらやましいばかりの健康さです。もう一つベンチャーキャピタルの今原さんの話を紹介します。ある米国人からの指摘だそうです[2]。
「日本にベンチャー起業は根付かないのではないか。米国では子供が5歳になると親が金儲けの大切さを教えるが、日本には金儲けは卑しいという風潮があるからです。米国では子供が5歳になると親が5ドル渡し、それを6ドルに増やしてこいと命じます。子供らは5ドルでレモンを買い、それをレモネードにして売るのです。」
この年齢でこの教育。このようにしてたくましく育つインド人、アメリカ人、同様にたくましい中国人と、これからの日本人は対等に競争していけるでしょうか。伝えられるいまの若者には心許ないものを感じます。98年春の大卒者中の無業者は8万人(15%)、また大学新卒者の3年目までの離職率30%にもなり、理由は「やりたい仕事が見つからないから」や「当面はっきりした目標もないから就職しない」というのです[3]。また高校無業者(卒業して進学も就職もしない層)は7.9%、東京の公立高校卒男子では21.5%に達し、少年犯罪の急増や思いやり意識の低下(米、中、韓など7カ国中最低)につながっていると報じています[4]。
しかしこのような状況は日本社会の本来の姿ではないと私は信じています。戦後、世界の奇跡といわれた日本の復興と成長は、敗戦直後の焼け跡で育ったたくましい若者によって成し遂げられたのです。ソニーもホンダもこのようにして生まれ、成長したのです。ではなぜその元気が衰えてきたのでしょうか。筆者はその原因を、日本が豊かになりすぎた結果、働かなくても食えるようになったからだと思います。親は生活を切りつめてやっとの思いで学資を工面している家庭も多いようですが、子供は気楽に学生生活を楽しみ、卒業しても働く意欲を持たないまま、ずるずる無業者になっているのでしょう。無業者だけでなくどの大学にも無気力症の学生が1〜2割ほどいるそうです。「語学についていけない」、「自分はがり勉で人間的取りえがない」、「人間関係に自信がない」などの理由で、無気力、無感動、無快楽の心理状態になり、学校に出られなくなって、就職からも逃避するといいます。
もう一つの原因は、働かなくても食える結果、体を動かさなくなったことが挙げられるでしょう。異色の通産官僚だった佐橋滋さんは青木利夫さんとの対談でいっています。「佐橋:人間らしさというのは一体何なんだ。ぼくは物をつくることだと思う。ほかの動物と違って天然自然のとおりに生きない、本能どおりに生きないようになったのが人間なんだよ。考えて物をつくるということを人間から取ってしまうと、それは人間らしさを失ったということで、人間が本当に満足を覚えないことだとぼくは思うんですよ。...ところが現実の労働は本来の物をつくるという状況とは違ってきておる。...機械的にものをつくるのは人間らしさではない。そういう状態を続けると人間は人間らしさを喪失する。いわゆる人間疎外になって、人間社会はおかしくなる。青木:かつては労働というのは肉体的な労働だった。また仕事そのものにおもしろみがあって、工夫しながら労働していたが、いまはだんだん機械的になる、あるいは組織自身が考えて、自分はそれに従って動くのにすぎなくなる。...つまり今後のレジャータイムは、バランスをとるために体を動かすこと、それから自分自身のクリエーティブな作業を自分の頭に強制し、頭を使う、そういう二本柱でやっていかなきゃならない」。
ここで、体を動かすことと、考えることを「強制する必要」が強調されているのが面白い。筆者はその「強制」はインド、アメリカの例のように5歳、8歳の子供の頃からはじめる必要があると思っています。ある大学の先生がいっていました。学生が生まれてはじめてぶつかる壁は高校、大学の進学ではなくて就職試験だと。就職の時にはじめて世の中の現実にぶちあたるというのです。22歳ではじめて世の波風にあたるのでは遅すぎる、モラトリウム(猶予期間)が長すぎると思います。
最後に養老先生の含蓄のある言葉をあげ、若い人たちにも理解して欲しいと願っています。「学生になにが好きか、ためしに訊いてみる。「べつに」という答えが返ってきたりする。これではどうしようもない。でも若いうちは、自分がなにが好きか、わからないものである。...好きなことを職業に選ぶと、それが難行苦行に思えたりする。そもそも仕事だと、嫌なことも含めて、なにもかもやらなくてはならない。だからやらなくてはならないことが好きなことだ。私の場合は、勝手にそう決めてしまった。そんなにうまくはいかないでしょう。そういわれると思うが、結局はそうなる。なぜなら、好きなことしかやりたくなければ、やらなくてはならないことを、好きになるしかないからである。若者にはそこがどうも納得がいかないらしい。...自分が好きなこと、それしかやらない。そう決めるのは自分である。ただ現実には、好きなことをするために、ほかのいろいろなことをしなくてはならない。それも好きになればいい。それ以外に、好きなことなどじつはありはしない。好きなことは、ただ頭のなかにあるだけのものではないからである」。