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「動物としての人間」

 孫をつれて散歩に出ました。途中道ばたの2メートルほどの高さの石垣に孫が登り始めます。登り切れずにずり落ちるがすぐまた挑戦する。何べんか失敗した後つぶやく「ゼルダだったら登れるのに」。ゼルダは人気ゲーム「ゼルダの伝説」の主人公。孫は挑戦するゼルダに変身した気分だったようです。

 子どものあこがれはいつの時代にもあります。ターザン、仮面ライダー、ウルトラマン。筆者の時代は忍者、剣豪でした。猿飛佐助であったか、跳躍のわざを身につけるためにトウモロコシの苗を毎日飛び越えて練習する場面があります。春、トウモロコシの背が低い間は飛び越えるといってもまたぐだけ。日が経ち、トウモロコシの背が伸びてくるとだんだん越えるのが難しくなるが、毎日つづけて跳んでいればついには2メートルに伸びたトウモロコシも越えられるようになるというなかなか説得力のある話で、自分たちもまねて跳んでみたものです。残念ながら2メートル跳べるようにはなりませんでしたが。

 次々に新しいスーパースターが登場し子どもたちを夢中にさせます。しかしスターのタイプはすっかり変わりました。「巨人の星」「アタック・ナンバーワン」時代の主人公は、才能もさることながら、きびしく体を鍛え抜き、あらゆる苦難を乗り越えてスターの座に登りつめます。汗あり、涙ありの物語で幼児だけでなく多くの若者の心もとらえました。同じ努力をすれば自分たちも到達できるかもしれないと思いながら。

 今テレビやゲームに登場するスーパースターは肉体的に人間を超えるだけでなく、いろいろな道具を使うところが昔と大きく違います。超能力の剣やフシギ草などという変わりものも出てきます(包丁や原子爆弾が出ないのが救い)。ただし、ひょっとして自分にもやれそうだという現実感はなく、まったく架空の世界です。プレヤーは両手で忙しくボタンを操作してパンチを繰り出し敵をやっつけます。相手のパンチを受け損なったりエネルギーを使い果たすとGame Over。ゲームの結果は何面をクリアした、カウントで勝った、負けただけで、難敵をやっつけた達成感も、やられてくやしいという挫折感もほとんど味わうことがありません。現代の「ボタン戦争」もこんなものかもしれませんが。

 TVゲームや、アニメ映画は日本のお家芸です。「風のナウシカ」「もののけ姫」の迫力ある画面には思わず引き込まれます。リアリティーのありすぎる仮想世界の物語と現実世界が入り交じり、区別つかなくなることが少年犯罪続発の原因の一つでないかと問題視されています。あるゲームプロデューサーは「...子どもたちの想像力欠如といわれるものは、仮想から現実に戻れない現象を指すと思います...仮想モノを体験することで"想像力の育成"というのもありえるのでないか。現実にはありえないことが仮想のだいご味なのですから。それでも子どもには仮想と現実の区別がつきにくいというなら、周りの大人が子どもに、楽しんだ後に現実に戻れるよう指導することが大切ではないか...」というのですが[1]。

 筆者は、相手にやられる痛み、つらさが伝わってこないゲーム機の仕組みにも問題があると思います。プレヤーはどんな危険な技を繰り出しても身体的に疲労、痛みを覚えることはありません。格闘技といっても操作の反射神経だけを競っているだけ。剣先を合わせて敵が出ればこちらは退く、間合いをどうとるか、相手の隙にどう攻め込むか、打たれたらどう逃げるか、などという張りつめた緊張感はありません。子どもたちはやみくもに最強手段を繰り出しますが、現実の世界ではこんなことは許されません。最強の手段はしばしばもっとも危険な選択です。現実世界では誰もこのような緊張関係の中で行動しなければならないし、仲の良い友だち同士でも一人でゲームをやるように気楽に振る舞うことはできません。

 動物は一匹、一つがいだけで生き、子孫を残して「種」を存続させることはできません。群(ムレ)の中でルールに従って行動することによって生きていけるのです。群のおきてはきびしいので始終周りに気を配り、お互いの順位を確かめ合い、間合いを計りながら生きています。筆者は以前双子の犬を飼っていましたが、2匹の間にも順位があって、結構お互い気を使い、行動にそれなりの節度がみられるのが面白かった。関係は不平等ですが仲も良くお互い納得しているようにみえます。

 事件を起こした子どもたちは皆周囲への怒り、社会への不満をあげながら、その一方で派手なことをしてみたかった、人を殺す経験をしてみたかったなどとショッキングな言葉を口にします。あまりに唐突、向こう見ずで、ほとんど自殺といってよい行動[2]に大人たちは大きな衝撃を受けます。しかし親が悪い、学校が悪い、社会が悪いという批判は出ても再発防止のコンセンサスはなかなか得られません。

 筆者は現代社会の大人や子どもが精神的に不安定になってきている大きな原因の一つは、わたしたちの生活が何百万年かけて作られてきた動物としてのリズムを失ってきていることと思います。ある生物学者と作家は対談でいっています。「経済学者や社会学者はよく"家族も人間の社会が勝手に作り上げた構築だから"といいますが、そうじゃないところも多いですね。確かに平等の概念とかは社会が作っていくものですが、男女がひかれあい、子どもを産み育てる生物の本質は、根元的に変わりようがないんです」「そうですね。男女平等とか個の自立とかの理念を一度取り払って、リアルで動物的な、あまり言語化されていないような家族像に常に立ち返る努力が必要だと思います」[3]。

 筆者は動物の基準からみて今の日本人に足りないのは@運動量、A睡眠時間、B子育て(しない、子離れさせない)、ではないかと考えています。まず運動について。健康のため一日一万歩をといいますが、なぜ一万歩なのか。それはこの運動量が男性の約300キロカロリーに相当し、これ以下では心臓や全身の筋肉が衰えて老化が早く進みだすからだということです。そのため宇宙船の中でも毎日300キロカロリーの自転車こぎを欠かすことができない [4]。しかし外で遊ばない子どもたちはその半分も歩いていないでしょう。外で追いかけっこすれば距離感が養われ、取つ組み合いをやれば手加減を覚えるのですが。次に睡眠。睡眠は本来一日8時間とるべきとされますが、現代人は平均6〜7時間だそうです。かつて天才ナポレオンは4時間しか眠らなかった、と畏敬を込めて聞かされたものですが、いまや睡眠4時間という人は筆者のまわりにもたくさんいます。インターネットのメールを見ると皆さん遅くまで起きているのに驚きます。宵っ張りの子供が増えていて、それが不登校の増加に関係するとの指摘もあるそうです。何十万年もかけて作られてきた8時間睡眠のリズムがここ数十年で半分になるとは思えません。もう少し長く寝られるよう生活スタイルを変えることが必要ではないでしょうか。育児について。動物が自分で獲物をつかまえ、群で生きていくための最低限の術をおぼえるのは親からで、この育児期間がないと子どもは生きることも群に入ることもできません。傷ついた動物の赤ん坊を人間が助けて育てても野生に戻すのは難しい例がいくつも報告されています。その一方、動物は成長したらすぐに親から離れなければなりません。ある無人島の鹿では育児の期間はちょうど1年。これを過ぎた若いオスはメスの集団から追い出され、オスの集団に向かいますが、その3割は競争にやぶれてオス集団にも入れず短い一生を終える。

 動物の世界はきびしい。しかし人間も動物であり、その限界を超えることはできません。そのことを子どもたちに、頭でなく体で分かるようにしていくことが大切でないかと思います。

[1]「ゲームと現実」千葉若菜(朝日00/5/14)
[2]「境界喪失、事件死にも」吉本隆明(朝日00/5/14)
[3]「変容する家族」山田太一、長谷川真理子他(読売00/5/17)
[4]「なぜ一万歩が目安か」波多野義郎(日経00/5/27)


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