JPCAショーのとき台湾のある実業家に会いました。アメリカ、日本でも働いたことのある技術出身の優秀な経営トップです。その人のいうのに「日本はコンセプトはいまいちだがディテールに強い。製造にはディテールが一番大事だ。日本のものづくりはディテールで世界一になった。台湾のものづくりにも協力してほしい」。
ディテールは「こまかいこと」で、英和辞書で引くと「細部、細目」の他「枝葉のこと、つまらないこと」と出ています。日本語の「こまかい」は「お金にこまかい」「こまかいことをいう」などしばしばマイナスイメージで使われます。これまで日本は細かいことにこだわりすぎた、これからは大胆な発想が勝負だ。ディテールよりコンセプト。ベンチャーいでよ、天才いでよ、ビルゲイツいでよ、の大合唱です。みんなが参加する、細かい改善にしこるTQCはひと頃の輝きを失いました。
「電子立国日本」が人気を呼んだのはほんの数年前です。日本のあらゆる技術が世界トップレベルにあると多くの日本人が自負しました。しかしその後ロケットの相次ぐ失敗や、IT技術で遅れをとった、海外メーカ、技術開発でも日本を急追などというニュースに、日本人の技術に対する自信は一気に揺らいでしまいました。実際、DRAMでは技術でも韓国に抜かれた、実装技術の固まりといわれたノートパソコンの生産も今や台湾が世界一と伝えられます。このままでは日本は製造だけでなく技術でもアメリカ、アジアに取り残されるのではないかとの不安が拡がっています。2,3年前には言葉さえ知らなかったITやe−コマースが毎日のマスコミ紙面に踊っています。最近は製造企業のトップにもITに賭けるという人がでてきました。あまりにも急な変わりようですが何かおかしい。これまでが間違っていたのか、今が間違っているのか。
筆者は考えます。コンセプトは大事だ、ITも必要、しかしもの作りのディテールを失ったら日本の将来はあり得ない、と。さきに紹介した台湾の実業家や冷静な日本企業トップ、内外の識者の多くもそう見ています。
日本人の考え方が大きく揺れるのはマスコミのせいではないかと思います。日本人には自分の領域外のことについて自分なりの意見を持っていない人が多いといわれます。外国テレビのインタビューで普通の人(地震の被災者や紛争地域の被害者)がずいぶんしっかりしたことをいうのに感心します。マスコミは何でも大げさに、センセーショナルに書き立てます。そして自分なりに考えない多くの日本人はマスコミの振りまく時代のはやり言葉や意見をうのみにする傾向があるのではないでしょうか。政治家が急にITといいだすと何か場違いな感じを受けます。まず教育を考えて欲しい。
日本人の技術理解について面白い記事がありましたので紹介します[1]。まず技術に対する日本人の態度について。技術に「関心がある」「注目している」割合は先進14カ国中最下位。「一般市民の科学知識」のテスト結果は13位。日本人は子供も大人も科学・技術にかんして、知識もなければ興味もない。先進国の中では最低レベルとなっています。個人的な意見ではありません。OECDと国際教育到達度評価学会の2つの調査結果なのです。「...しかし面白いのは、これほどまでに科学・技術にかんする知識や関心が低いにもかかわらず、一般の日本人のほとんどが「日本の技術力は世界のトップ」と信じ込んでいることである。これはロケットの失敗を認めない体質と無縁ではない。...この国民的ともいえる自信はいったいどこからくるのだろうか。昔からわれわれは、「日本人は手先が器用だ」という言葉を耳にしてきた。たしかに日本の伝統工芸品は、緻密さの極地といえるものが少なくない。その伝統を受け継ぎながら高度成長の時代に入り、日本はさまざまな技術分野で高品質の製品を生みだしてきた。その意味では、たしかに日本人は器用だった。しかしここに大きな誤解がある。それは、すべての日本人が器用だったのではない、ということだ。...江戸時代から平成の現在にいたるまで、器用だったのはごく一部の職人たちや技術者たちである。そういう人たちが実際のモノ作りにたずさわり、突出して器用だったのだ。日本人一般がモノ作りをしていたわけでも、器用だったのでもない。しかし、豊かとはいえなかった時代、一般の日本人も多かれ少なかれモノ作りをやっていた。父親が板塀を直したり、母親は子供たちの衣服を繕ったりして。そういう大人のもとで子供たちもボール紙の望遠鏡を作ったりラジオを組み立てたりとモノ作りに熱心だった。...そういう姿がほとんど見られなくなった今日も人々は「日本の技術力はトップ」と信じつづける...」
政府もこのままでは日本のモノ作りの力が衰えると対策に躍起になっています。マスコミの論調も職人芸を見直そう、伝統の灯を消してはならないと風向きが変わってきました。しかし今も、しんどい理科系は敬遠、技術は向いた人にやってもらおう、自分は感性に生きたいという日本人が多いのです。ある老鋳物師のことば「みなさん伝統伝統って誉めちゃくれますがね。骨折ってものを作ろうって人は、当節いなくなりましたね。みんな机の上の人ばっかりでね」[2]。
職人技術といえば修得に長い年数がかかる、それが職人の値打ちを支えているという常識がありました。そして職人の層の厚さが日本のモノ作り力の源泉と思われていました。しかし最近はずいぶん変わってきているようです。まずたいていの職人技術が機械でやれるようになりました。かつて、めっき、塗装、指物師や染め物の職人も一人前になるには8年かかるとされていたのが、今ではちゃんと教育すれば2,3年で機械も併用して一人前の仕事ができるようになるといいます[2]。
「(株)インクスは特別開発のソフトを使い、新宿でアルバイトに金型設計を教えて設計させ。データを大田区の工場に送って機械を稼働させて生産す
る。設計、生産を徹底して標準化、マニュアル化し、コンピュータ利用で設計、生産している。...(記事の著者が)精密金型は無理だろうと言ってみたが、山田社長は精密金型でも"職人レス"にできるという。職人技術が全く不要というわけではない。ところが、職人技術も大切だというと、一気にそちらへ議論が流れ、技術の科学化が否定される。だから、あえて職人技術は機械に置き換えられると発言するようにしている。在来的な職人技術にこだわっていると、IT活用に遅れをとって後を追ってくる中国などに負ける」[3]。
世界一の研削盤メーカーといわれる長嶋精工の組立現場二十数名の平均年齢は27才、中にはアルバイトの高校生もいる。世界で最も高精度の工作機械
メーカーと認められた安田工業の従業員は230名、熟練工員100人の平均年齢は31才とか[2]。プリント板関係の金型メーカーの社長からも人でなければできないような金型はないと聞きました。
機械で何でもできるなら台湾でも中国でもどこででもできます。どの国にも金持ちがいて、若い優秀な技術者もいます。第一にその人たちの追い付き追い越そうという意欲、馬力が違います。作業者の器用さも日本が上とはいえません。あるビットメーカーの人のいわく「中国人の器用さは日本人より上。能率は2倍にもなる」と。
さてこのように見てくると、日本が強いといわれるディテールはどこにあるのでしょうか。伝統でも職人芸でも器用さでもなさそうです。そこでもう一度小関智弘さんの本[2]で紹介されている世界に名をとどろかした町工場の経営者の経歴をみると共通するところがあることに気づきます。まず、大学を出てから職人になった人が多い。道具を自分で作る。そして若い人に仕事を任せる、など。大卒でも「机の上の人」ではなかったのです。プリント板産業の草分け時代、どこの社長も長靴をはいて現場に入り不良の対策に頭をしぼりました。そこで本には書いてない工程改善のノウハウを一つひとつ身につけました。大卒・Uターンというキャリアは基礎的な力と視野の広さが伝統の職人芸を超える上で大きくプラスしたと思われます。そして従業員みんなの考える力、やる気を引き出すこと。これら全部がそろって世界に冠たる町工場をつくることに成功したのでしょう。そして筆者はこれがとりもなおさず日本のディテールの強さなのだろうと考えます。