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「雪印について」

 雪印は低脂肪乳による集団食中毒で大きな痛手を受けました。事故を起こした大阪工場製低脂肪乳以外も「雪印」と名の付く製品はずべてスーパー、コンビニから姿を消してしまいました。筆者は以前から牛乳の銘柄間にそんなに差があるはずはないと思っていましたので、1リットルで20〜30円も高い雪印は敬遠し、いつも一番安いのを買っていました。買うときに筆者が見るのはパックの傷みと消費期限だけ。若い女性が高い雪印を買っていくのを、ブランドの力はすごいなと思って見ていました。それが一夜明けると誰も見向きもしない。あまりにも急な消費者の心変わりです。

 臨界事故では茨城の干し芋が、ダイオキシン汚染が伝えられた所沢では野菜が、一時期全く売れなくなりました。関係会社の社員や県の職員がテレビの前で食べてみせるなど涙ぐましい努力をしていました。大事故が起こって大騒ぎしても1年もするとほとんど忘れ去られ、対策も中途半端に終わる、というケースがしばしばみられます。筆者が怖いと思うのは、社会の反応があまりに過激になること、自分に関係ないとなると寄ってたかってとことん相手をやっつける、「池に落ちた犬は叩け」の風潮です。大阪工場社員の嘆き「子どもが幼稚園の友だちから『雪印は帰れ』といわれた...」[1]。マスコミの論調も子供のいじめに似ていないでしょうか。

 雪印については「危機管理能力なし、の烙印」[1]、「雪印社長43年の勤務を9日で棒に振る判断ミス」[2]など事故対応の不適を批判する記事が多いのですが、トップが責任をとるのは当然のこと。問題は事故を起こした体質、背景は何か、それをどう改善するかです。そして事故を起こす体質、背景が雪印1社だけのものだとはとても思えません。どの食品メーカーにとっても人ごとではないでしょう。食中毒件数はこの5,6年で5倍にも増えています(1999年には2500件)[3]。食中毒に限らず大きな事故が増える背景の一つは、製造現場の扱うシステムが複雑化、巨大化して、一つ間違うと大事故につながるようになっているのに、それを操作するオペレータの一人ひとりが、「自分たちの工程では何が危険か」について十分理解していない、ということがあるのではないでしょうか。専門家は分かっているでしょう。しかし外注先、下請け作業者、アルバイトや現場監督者にとっては、日々の生活で覚えた経験と常識だけが頼りで、マニュアルなどは面倒な規則に過ぎないと思ってしまう現場の感覚があるように思います。さらに背景には地味な技術、現場、下請けを評価しない今の日本の社会風土があると思います。雪印の現場にも「社長は社内で『工場(こうば)の人ね』とばかにした感じで話した」と屈折した思いを語る人がいるようです。

 筆者は雪印事故に関する報道でいろいろなことを知りました[4]。
1.ハサップ(危険度分析による衛生管理、HACCP。注1)という制度があること。日本では企業から製造ラインごとに申請し、「申請した範囲だけの審査」が行われること。一回承認されると以後のチェックはないこと(急ぎ、来年からチェックが始まるとのこと)。
2.低脂肪乳は脱脂粉乳にバターと水を加えてつくり、他で余った加工乳もこれに再利用すること。再利用は消費期限内のものに限る建て前であるが、いちいちチェックしていられないので期限切れ品も使うこと。返品された製品を配送業者が素手で開封してタンクに入れていたこと(一部は屋外で作業)。(再利用品で製造した加工乳の消費期限はどうなるのでしょうか)。
3.余った加工乳をホースから低脂肪乳ラインに戻すためのバルブとステンレス配管がある(図)が、これらは臨時施設とみなされ「ハサップ対象外」とされていた(しかし配管はハサップ施設につながれており、汚染はここから始まる)。
4.余った加工乳をラインに戻す作業は委託業者(配送業者)まかせ。バルブの洗浄は大阪工場規定では「週1回分解・洗浄」、別に社内規定「月1回洗浄」がありこれを混同したとか(明らかな誤解で、工場規定は常に社内規定に優先しなければならない)。「洗浄マニュアルがあるとは知らなかった。10年以上やってきて事故が起きなかったから問題ないと思った」[5](洗浄しないと必ず事故をおこすわけではない、事故が起きなかったのは僥倖)。

 加工乳の戻し作業は週数回行われたそうですが、作業後の洗浄はやられたのでしょうか(新聞にはなにも出ていない)。週1回の洗浄規定はバルブの分解・洗浄です。ステンレス配管は本ライン(ハサップ施設)の枝管になっていて、いかにも洗浄しにくそうです。自動洗浄設備もなかったそうで、毎回の洗浄も十分行われなかった可能性があります。ステンレス配管にも一面に菌が付着していたということです。
5.菌の増殖は条件がそろうときわめて速いこと(腸炎ビブリオ菌は1個の菌が2時間で10万個に増える[3])。食中毒の症状をひき起すのはブドウ球菌ではなく、この菌が増殖するときにできる毒素(エンテロトキシン)であること。菌そのものは熱に弱いが、毒素のほうは耐熱性があり火を通しても消えないこと[5]。雪印の社員は「屋外、常温で作業して菌が増えても、加熱殺菌すればよいと思った」そうです。プリント板の取り扱い中、手で触って汚しても洗えばよいと思っている人はいないでしょうか。プリント板に付けた指紋を化学的クリーニングで完全に除去することはほとんど不可能と薬品メーカーの人もいっています。
6.食中毒対策のキーワードは(菌を)付けない、増やさない、殺すの3つ。なかでも大切なのは増やさないこと。「居酒屋で刺身をなかなか食べない人がいるが危険だ。どの料理もすぐに食べないなら冷蔵庫や冷凍庫に入れる、火を通すといった注意が必要」[3]。また、食品を購入したらなるべく「寄り道」をしないで早く帰宅するように心がけること。菌が発生してしまってから冷凍しても、それは予防にはならない... [5]。ここまでの注意が必要だとは思いませんでした。

 雪印には優秀な専門家、技術者がたくさんいるはずです。しかし下請けの作業員、アルバイトにもこれだけの常識が求められるのです。下請けの作業員がサボったのではなく、洗浄がこんなに重要な作業とはつゆ知らず、面倒な作業としか理解していなかったのではないでしょうか。配送業者は荷物を運ぶのが仕事で、薬品や食品の取り扱いについては素人です。最近も、タンクローリーで塩化第二銅廃液を運んだ後、十分洗浄しないまま他の薬品を入れて輸送中、爆発事故を起こしたというニュースがありました。配送業者にとってタンクローリーの洗浄は余分な作業であったのでしょう。

 以上、雪印の事故についてこまかいことを書きましたが、今回の事故は昨年のJOC事故にも似ています。他の業種(たとえばプリント板製造工場)でも、現場をよく見ると「危ない作業」「危ない管理」がないとは言い切れないのではないでしょうか。事故を防ぐ上で一番大切なのは、従業員、外注先の誰もが工程をよく理解することです。「問題なし」あるいは「合理的」と思えば手を抜くのが普通の人間です。このような人間に技術の中身を理解させないままマニュアルを守らせることはほとんど不可能です。マニュアルの意味と背景、守らなかったときに想定される事故の大きさについて十分説明し、理解させ、納得させることがまず大切です。アルバイト、派遣やアウトソーシングが増える中、このような教育の重要性はますます高まるでしょう。

 以下は日本の技術の現状を憂える西澤潤一先生の文章です[6]。「...私の娘が後任者に電子顕微鏡の使用方法を申し伝えようと、『最初1番のスイッチを入れる。そうするとヒーターに電流が流れて電子が飛び出す。次に2番のスイッチを入れると、直流の電圧がかかって電子はプラスの電圧の方に向かって加速され、電子はまっすぐ陽極に向かって飛んでいく』と説明しながら後任者のノートを見て、彼女はびっくりしたそうだ。『最初1番のスイッチを入れ、次に2番のスイッチを入れる』としか書いていなかったのだ。操作だけをノートしていたのである。無事故のときは、これでもなんとかなる。上野の動物園のお猿電車である。そして、1番のスイッチを入れてから2番を入れるまでに数秒の間をおいたほうがよいなどということは、通常、誰も考えていないし、最近は、こういうのはみな自動的に行われる。自動化したほうが安全確実なのである。逆にいえば、操作員は皆能力が低下していく...」

 最後に、アルバイト、パート、派遣でも下請けでもきちんと説明すれば、理屈を理解する能力は皆もっているということを強調しておきたいと思います。

注1 ハサップ(HACCP):食中毒汚染の危険を分析し、原因になりかねない重要管理点を見極めて、食品の製造工程を管理する仕組み。宇宙飛行士が食中毒を起こさないようNASAが宇宙食の衛生管理に当てはめたのが始まりで、米国では水産品、食肉についてHACCPによる管理を義務づけ、他国にも拡がりつつある。日本は1995企業から申請し厚生大臣が承認する方式で導入[7]。

[1]「雪印に『危機管理能力なし』の烙印」(週刊朝日7/21)
[2]「雪印社長43年の勤務を9日で棒に振る判断ミス」(週刊文春7/20)
[3]「食中毒、なぜか増勢」(日経7/11)
[4]「菌繁殖しやすい構造」他(朝日00/7/7, 7/15, 7/17, 日経7/14)
[5]「食中毒から家族を守るキッチン診断」(週刊文春7/20)
[6]「技術大国の落とし穴」西澤潤一(Voice 00/5)
[7]「HACCP(ハサップ)」(朝日7/12)


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