この夏は暑い日がつづき、日中はアブラゼミ、ミンミンゼミが、夕方になるとヒグラシがうるさいほどに鳴いて、夏らしい季節感をおぼえました。ただ、散歩していてもかつて草むらにいっぱい跳んでいたバッタやイナゴ、キリギリスをほとんど見かけません。ハエもすっかり姿を消しました。今では「やれ打つな、蝿が手を擦る、足を擦る(一茶)」というハエのしぐさを観察した人は少ないでしょう。嫌われ者のハエでも生態系の連鎖の一部。農薬、殺虫剤が効いたのか、あるいは環境ホルモンが原因か。いずれにせよ厄介者がいなくなったとよろこんでばかりいられません。「蛇棲めぬ世に人だけが住めやうか」[1]
犬、猫でも昆虫でも、動物のしぐさは見ていて飽きません。また、アリやハチなどコロニーをつくって生活する社会性昆虫は、各個体が役割分担に従って行動し、大きな集団の秩序を維持しています。その巧妙な仕組みは人間社会の理解や制御技術への利用にも役立つと昆虫のムレの研究がすすめられています。
先日、近所の自然公園にアリの集団を見てみようとディジタルカメラを持って出かけました。しかし何百匹ものアリの集団はなかなか見つかりません。やっと一つ、林の中の散歩道に倒れて朽ちた木に沿ってアリの集団が忙しげに行き来するのを見つけました。早速カメラに撮って、パソコン画面で見てみました。しかし朽ちた木は写っているのに、何十匹も行き来していたはずのアリが一匹も見えない。何枚か撮ってみましたがどれにも写っていない。エサにむらがるアリは写っているのです。後で考えると、写らなかった原因はアリは小さい(10〜15mm)くせに歩くスピードが意外に速いためなのでしょう。速いときには1秒間に20cmほども走ります。そのためフラッシュか高速シャッターを使わないと走るアリは写せないのだと思います。足の長さを2mmとすると、1秒20cm走るときアリは1秒間に100回ほども足を動かしている(人間はだいたい2回)。
アリはいつも速く走るのではありません。大勢が通る道(5cm幅くらい)はみな早足で駆ける感じですが、大通りから30cmも50cmも離れたところをうろうろしているアリが何匹もいます。「はぐれ者」にみえるこれらのアリは行きつ戻りつ、ときどき立ち止まったり、向きを変えたり、引き返したり、大体が「大通り組」より遅いスピードで動き回っています。集団から落ちこぼれたかにみえるこれらのアリは迷っているのではなく新しいエサ場の探索にあたっているのだそうです。このようなランダムな動きで偶然に発見された新しいエサ場からアリの巣までのルートはどうやって作られるのでしょうか。その仕組みが明らかになってきました [2]。そのルールはおおよそ次の通りです。
1.アリは歩きながらある種のフェロモンをあとに残していく。アリが巣に戻るときはこのフェロモンの道をたどる。フェロモンは時間が経つと蒸発して消えていく。
2.アリはフェロモン濃度の高い道を好んで歩く。多くのアリが通った道のフェロモン濃度は高くなり、さらにアリが通るようになって大通りができる。
3.巣からエサ場までの距離の短いルートは距離の長いルートよりフェロモンの蒸発が少なく、そのためその道がメインのルートになる。
この簡単なルールだけで、アリはエサ場への最短ルートを見つけ、そこのエサがなくなると新しいエサ場を探し、新しいルートを作っていくのです。このような仕組みをコンピュータに覚え込ませると、コンピュータ上のアリが難問として有名な「巡回セールスマン問題」の(準)最適解を探してくれるといいます(注)。
アリの集団を観察すると、何匹かのアリが一つの大きなエサにとりついてエサを巣に向かって運ぶところが見られます。お互い、相談しているようにも見えないのに反対方向に動かそうとするアリがいないのは不思議です。お祭りのミコシでしたらうちわを持った先導者が要るところです。このような協調作業を複数のロボットにやらせる研究が行われています。ルールとして「物体(エサ)が自分とゴール(巣)の間に来るように自分の場所を変えて、ゴールに向かって物体を押す」というだけの規則を各ロボットに教えると、全体をコントロールするソフトウェアがなくても複数ロボットにアリと似たような協調作業をさせることができるそうです。
ところで、新しいエサ探しはどのアリの仕事で、エサの運搬はどのアリが受け持つのでしょうか。この論文にアリのエサ探し担当については書いてありませんが、ミツバチの例が挙げてあります。ミツバチでは通常、エサを探すのは「年取ったハチ」の仕事。しかし、エサがなくなってくると若いハチもエサ探しに加わる。エサ探しが年寄りハチの仕事とは意外でした。年寄りハチには、肉体労働のエサ運びより、時間がかかっても新しいエサ場を探してもらった方がハチの集団にとっては利益なのでしょう。
このような昆虫の生態を人間社会にあてはめますと、新しいエサ探しの仕事は少数のベンチャーに、ルートのできた道を通ってエサを運ぶ大部分のアリは、既存業種、確立した仕事に従事する大多数のサラリーマンに対応させられるでしょう。社会が大きく変化せず、既存の業種、従来のやり方が通用する時代にはこのような役割分担が効率的なのだと思います。しかし経済のグロ−バル化やITで社会の構造を大きく変わってくると、いままでのエサ場だけに頼ることは難しくなりました。今「若いベンチャーよ出よ」と叫ばれています。確かに日本ではアメリカに比べベンチャーの誕生が少なく、大通りからそれて歩こうという人の割合も少なかった(それがかつての日本経済の高度成長を支えたともいえます)。
バッタはエサが豊富な時期は短足で繁殖能力が高く、エサが欠乏してくると新しいエサ場の探索に有利な長脚に変態し、ほとんど別の種に見えるといいます。アリ集団ではエサがまだ残っている間にも、エサ探しの係りはエサを探して歩き回っているというのは人間社会に(プリント板業界にも)教訓になると思います。このところ日本のプリント板業界は活況を呈していますが、その中でも変化に対応できる次のエサ場探しを怠ってはならないのでしょう。
しかしながら、散歩途中で見かける単独でやみくもに歩き回るアリを見ていると、新しいエサ場発見はそんなに容易ではないことが想像されます。発見できる確率は多分非常に低い。あまりに遠くまで来てしまって、日は暮れてフェロモンの道しるべも消えた、もはや巣へ戻ることもできない、というアリが少なくないと思います。ベンチャービジネスは「多産多死」、成功する確率は高くないといわれます。しかし後からあとから新しい挑戦者が現れ、ついに誰かが思いも寄らない新しいエサ場を発見する。このような流れを日本に定着させるためには、まずは失敗を認める風土、そして失敗しても食うだけなら食える、再起も可能、という社会の仕組み、それから道楽でお金を出してやる金持ちを作っていくことが不可欠です。若い人たちに、思い切ってやれ、リスクを
とれ、といっているだけではだめでしょう。
挿し絵 @アリの巣と役割分担 A号令がなくても大勢寄ってエサを巣に運ぶ
注.巡回セールスマン問題は、「セールスマンが与えられた全都市を一度だけ通る最短ルートを見つけよ」という問題です。しらみつぶしに確かめれば原理的には解ける問題ですが、十数都市の場合でも可能なルートは数十億通りにもなり、実際上解けないという意味での難問です。