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「捨てる悩み」

 ある投書に、出勤前にごみを持たされたサラリーマンが「捨てに行く」といったところ、奥さんに「ごみは出すのです。『捨てる』という意識があるから環境破壊がすすむのです...」と手きびしく叱られた、と。筆者は日頃ごみ(特に不燃ゴミ)を出すとき、持って行ってくれる市の職員に心の中で感謝しています。いつまで持って行ってくれるかなと案じつつ。公務員はパブリックサーバント(田中長野県知事)で、市民のために必要な仕事をするのが責務でしょうが、何もかも一緒くたに放り出されたごみをきちんと分別して処分するのは大変なことです。こんな投書もありました。「...マンションの住人は、高い管理費を払っていると大きな顔をして、ゴミを分別せずに捨てる。全部でないが10軒に1軒の割合でいる。それを注意すると憎まれて働き口がなくなる。管理人は清掃人、黙って掃くしかない...」

 話は変わって本のベストセラーです。新書ノンフィクションの部で何週も「「捨てる!」技術」が第1位となりました[1]。家が狭く、物のあふれた日本の家庭では「整理」は永遠のテーマです。片づけ、収納のノウハウが年中、新聞記事や番組の特集に取り上げられています。家庭の主婦だけでなく若者も、研究者も、作家もみな書類や物の海の中でおぼれそうになっています。家の床が抜けそうだと心配する友人もいます。ブランドで着飾る若い女性の部屋がモノで埋まって足の踏み場もないという写真も見ます。モノの量が多いだけでなく、必要なモノが出てきません。必要になった書類をさりげなく半日も探し回った経験のある人もあるでしょう。うまい整理法はないかと多くの人が思い、この人たちに向けて整理法の本がたくさん出ています。古くは「知的生産の技術」(梅棹忠夫)、最近では「超整理法」(野口悠紀雄)があり、どちらもベストセラーになりました。「超整理法」は簡単にいうと、来た書類は封筒に入れ順次書棚の左側から入れていく。書棚から取り出した書類は、使用後、元の場所ではなく書棚の一番左に戻す。こうすると古い、使わない書類は書棚の中を右に移動していく。最後に右側からあふれ出た書類は不要として「黙って」捨てる、というものです。筆者は「超整理法」を使っていますが、なかなかこの通りにはいきません。野口先生は、書棚は2メートルもあればよいといいますが、ショーで集めたカタログも入れるとあっという間に満杯です。いずれと思って積んでおき、スペースがなくなるとやむなく捨てています。ある編集長は仕事がら永年カタログを袋に入れ倉庫に保存しているが何とかしたいと悩んでいました。みな「どう捨てるか」で悩んでいます。

 そこに登場したのが「「捨てる!」技術」です。この著者は、大胆に「捨てる」ことを説きます。「見ないで捨てる」「その場で捨てる」「しまった!を恐れない」「聖域を作らない。思い出のモノ・記念のモノ...それはあなただけの価値にすぎない。あなたが死ねばみんなゴミ」、と大変はぎれがよい。これが、捨てるに捨てられない多くの人に一種の爽快感を覚えさせ、ベストセラーになるのでしょう。なかなか捨てられないもの、男性のダントツトップは本、ついで雑誌、洋服の順。女性は洋服がトップ、あと本、写真とつづきます。同感をおぼえる読者が多いでしょう。筆者もこの本を読んで大分捨てましたが、さすがに「見ないで捨てる」ことはできません。この本の大胆さに対して立花隆が文芸春秋に痛烈な批判の文を載せています[2]。「死ねばみんなゴミ、というのは、その通りだろう。しかし、死ぬ前は生きているのである。その人が生きている間はその人が大事にしているものもゴミではなく生きているのである。生きている間は、みんな自分だけの価値観を持ち、それに従って生きているのである。誰だって自分の価値観に従って、自分の聖域をつくり、そこに他人を立ち入らせないようにしている。生きるということは、自分の価値体系を持つということであり、自分の聖域を作るということである。聖域の持ち方において豊かな人が豊かな人生を生きているのであり、聖域の守り方において果敢な人が果敢な人生を生きているのである。死ねばその人の聖域は滅び、みんなゴミとなる。それはその通りだが、だからといってそれがなぜ死ぬ前に聖域なんか全部捨てちまえということになるのか。それなら問いたいのだが、あなたが死ねばどうせあなたの心臓は止まる。どうしていまあなたの心臓を止めないのか...」。さらに、そもそも文化とはこのような過去のストックの上に成り立っている。それらをすべて不要とし捨ててしまうのは、文化を否定することだ、未来に役立つポテンシャルも捨てる行為だ、と。立花さんは、なかなか捨てられないものを、思案し、悩みつつ捨てるのが人間のまともな行動だというのです。

 あるコラムに「『使い捨て文化は日本人の発明である』。アメリカ人から厳しくたしなめられたことがある。『戦後の日本人はアメリカの大量消費、使い捨て文化を学びすぎた』と主張したときの反論である...」[3]。実際、住宅の平均寿命は日本26年、米国44年、英国75年となっています[4]。ただ、家にモノがあふれる風景は戦後のものです。戦前の家はどこも家の中が広かった。京都御所でも、田舎の旧家でも、漱石など文人の旧居でも部屋にモノが少いのにおどろきます。

 このような使い捨て文化もここにきて行き詰まりました。ゴミの行き場がありません。日本だけではありません。東南アジア諸国もゴミの排出が急増し、その一方でゴミ集積場の不足に悩まされています。どこも住民の反対運動で集積場の新設どころか閉鎖に追い込まれるところもあり、あと数年の寿命と報じられています[5]。

 日本は物質を7.3億トン輸入し、1.1億トン輸出している、差し引き約6億トンの半分が大気に、残った3億トンが地表に残るといいます[6]。1人あたり年3トン、これがいずれゴミになるのです。日本は(そして東南アジアも)今後、好む好まざるにかかわらず物質のインプット量を減らして、なおかつそこそこの成長をはかっていくしか道はありません。日本の住宅市場の問題は短寿命(アメリカの半分)と中古住宅の流通が極端に少ないこと(アメリカの3%)とされますが、その改善が進んだあかつきに住宅産業はどうなっているのでしょうか。あるショッキングな予測によれば、2050年には改修工事がほとんどで、新築は5%まで減ってしまう(現在は48%改修、52%新築)ということです[6]。電子機器市場も傾向としてはこの方向に進むのでしょう。しかしこれだけ技術革新の速い業界でどのような形で長寿命化や中古市場の成熟が可能なのかわかりません。

 筆者のパソコンは購入後2.5年、順調に動くのですが、ハードディスクがオーバフローしそう、DVDを増設したい、などで改造を考えました。パソコンに強い人に相談すると、みな新しいのを買えといいます。店で見てみると、ハードディスクの容量10倍、CPU速度3倍、それて価格は半分。買う気はそそられますが、今のパソコンもけなげに働いてくれているので、捨てるのはつらい。どこかいい嫁入り先がないかと思案しています。

[1]「「捨てる!」技術」辰巳渚(宝島社)
[2]「『「捨てる!」技術』を一刀両断にする」立花隆(文芸春秋00/12)
[3]「豊かなエコライフ」古舘 晋(日経00/11/1)
[4]「日本の建築物は短命」(日経00/10/9)
[5]「東南アジア諸国、ごみ問題深刻...」(日経00/9/25)
[6]「50年後の新築工事...」岩村和夫(日経00/7/17)

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