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「ITがわからない」

 80歳を越えた先輩が、ある年の年賀状に「近ごろわからないことば、パフォーマンス」と書いてきました。パフォーマンスは電子機器ではふつう性能と訳されます。一方、路上で踊ったりはねたりするのもパフォーマンス。「あいつのパフォーマンスが気に入らない」といったりもします。よく使われるわりにもうひとつわからない、できれば使いたくないという言葉があります。私にとってITはそのような言葉の一つです。

 ケータイ、インターネットはわかる、情報技術も一応わかるのに、ITというと急にわからなくなる不思議。IT産業とは多分情報産業であり、プリント板もIT産業に入るのでしょう。しかしIT革命、IT国家とマスコミで騒がれると何かおかしい。5年後に日本を最先端のIT国家にすべく何兆円も投資するといわれてもぴんときません。

 こんな発想が出てきた理由はわかります。90年代、米国の好景気はITが牽引してきました。その恩恵をうけ、欧米、アジア、中南米などほとんどの地域で4%以上の高い成長を遂げました(最近は米国でのネットバブル崩壊で先行き不透明ですが)。90年代後半の世界貿易増加の45%はIT関連資機材によって占められるそうです[1]。ひとり日本だけが景気回復から取り残されています。マスコミによれば、日本では構造改革が進まず、IT化の波にも乗り遅れたのが原因とされます。確かに規制緩和や構造改革は避けて通ることはできません。それによってみんなが幸せになるのでなくても。しかし、政府やマスコミが日本再生の切り札にこぞってITを掲げ、ばら色の未来を語るのに筆者は危ういものを感じます。あまりに単純な発想か、短期的な経済効果狙いではないかと。ITは構造改革を進める上で重要ですが、ツールのひとつに過ぎません。構造改革を進めていったさきに、「ものづくり」は、人は、教育は、地域はどうなっていくのか。これがはるかに大きな問題です。日本のインターネット普及率がアジアの国々より低い、通信インフラの整備が遅れているといった状況はあるでしょう。しかし莫大な費用をかけて光ファイバー回線を各家庭まで引き込み、高齢者にパソコンを配るといった施策は日本の構造改革、再生にどの程度役立つでしょうか。「わが道をわれは行かむと決断す「IT革命不参加宣言」」という(多分)高齢者の声も聞かれます[2]。

 政府の構造改革計画を推進することにより、情報技術、金融、エネルギー、物流、医療、環境分野でどの程度経済効果が期待されるかについての報告があります(表)[3]。構造改革により、この先10年間にGDPは136兆円(年率2.4%)増加すると見込まれています。表で「生産性向上効果」とは、市場の整備、技術革新による生産性向上、製品・サービス価格の低下、消費や設備投資の増加によるGDPの増加分です。また「市場創出効果」とは、事業環境が整備され、個人の能力がより発揮されるようになり、新しいサービスが生まれることによるGDPの増加です。


 GDP増加額(2000年→2010年)生産性向上市場創出合計

 情報通信 32.3兆円48.8兆円81.1兆円
 エネルギー、物流、金融、医療、介護、環境10.544.354.7

 全体効果42.893.0135.8

 GDP増大効果の大半は情報通信分野での対策から生じるとされています。IT産業自体の拡大のほか、各業種でIT導入により生産性が毎年1.4%向上し、電子商取引などの市場拡大効果が57兆円と仮定されています。

 そして「…IT産業については、従来以上に競争環境を整え、技術革新と価格低下による生産性向上を促すとともに、ITを用いた多様なサービスを提供していくべきである。そのためにも光ファイバー網の全国整備、DSL、ケーブルテレビの普及に向けた政策支援を強力、かつ早急に推進することが重要」と強調されています。

 筆者はIT産業への期待があまりに大きすぎるように思います。エネルギー、物流、金融、医療、介護、環境での構造改革が重要です。期待される改革の効果もきわめて大きいはずです。これらの効果を全部合わせたものよりも情報通信分野での改革効果が大きいとするのは期待が過大ではないでしょうか。ITによる合理化で価格がもっと下がり、製品がもっとたくさん売れ、その結果GDPが増加するというストーリーも、これからの日本であまり期待できないのではないしょうか。何よりも社会がどう変わり、人々の暮らしがどうなるかです。電子商取引で市場が大きく拡大するといっても、電子商取引で仕事を失う人も多いはずです。インターネットで本を買う人が増えれば、普通の本屋の売上は下がります。電子商取引で人が本をよく読むようになるとは思えません。家庭で24時間いつでも株取引ができる、というのもこわい仕組みです。

 ITをめぐっては、次なる経済のフロンティアとして期待する議論の一方、IT革命に対する疑念の声も聞かれます。ばら色のIT未来社会を語るのは政治家、マスコミで、情報や技術の専門家には批判的な人が多いようです。西垣論文[3]は、ウェブ携帯電話の普及、BSディジタル放送の開始で日本でもIT革命の兆しが見えてきたが、ITユーザーの主役が高学歴の「情報強者」ではなく、情報リテラシー最低のグループ(家でほとんどパソコンを使わない層)、一般庶民になっているとし、「…低リテラシー層こそ、ウェブ携帯電話の世界を進化させていく開拓者なのではないだろうか」とのコメント(電通総研)を引用しています。そして「(IT社会では)共同体が消滅してしまい、自由な個人が自己責任のもとに市場で競うだけの時代になるのだろうか…多チャンネル・ディジタル放送とインターネットとが融合した近未来サイバースペースはとがった山塊、暗い洞窟が累々と連なる奇怪な空間。…多数のローカルなウェブ群がもつれ合って共存しており、個々の参加者はその中の一つまたはいくつかのウェブのメンバーであるに過ぎない。問題意識、メンバー、言語、文化などを異にするローカル・ウェブ同士の相互連絡は皆無に等しい。…ホモサピエンスは何万人もの他人と十分対話できるような脳を持っているわけではない。冷静かつ合理的な消費行動を起こすわけでもない...」と。私たちはいま住み、働き、顔をあわせる共同体を離れて、参加も、脱退も自由で、匿名可能のオンラインコミュニティだけに住むことはできません。漠然としたIT社会を論ずるより、地についた情報技術の応用を積み上げていくことが大切と思います。医療や介護など人手のかかる分野への利用が今後重要性を増してくるでしょう。プリント板については検査や修理のロボットができないかと筆者は夢見ています。

[1]「「正義の経済学」ふたたび」寺島実郎(「中央公論」2001/1)
[2]細野恒雄(朝日歌壇2001/1/12)
[3]「構造改革、成長促す効果大」横山重宏(日経2001/1/12)
[4]「IT革命後の社会」西垣通(「中央公論」2001/1)

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