最近、野菜の輸入が中国産2.7倍、韓国産6.2倍に急増して、農家の経営が危機的な状態に陥り、緊急輸入制限の発動になりそうです。プリント板の海外生産もはずみがついてきました。筆者が最近買い換えたパソコンは韓国製とのことですが、ハードディスク60GB(新聞朝刊15年分!)、DVDも読めればテレビも見られる。それが従来のざっと半値。どう考えても安い、とても日本では作れないと思ってしまいます。
だれでも海外に出ると愛国者になるといいます。台湾や中国のプリント板工場を見学するとその圧倒的な規模と勢いに驚き、さて日本のプリント板産業はこの先どこへ行くのかと考えてしまいます。日本で、ものが安く作れないのは規制緩和、構造改革が遅いから、政治が悪い、銀行が悪いとマスコミは繰り返し報じ、うんざりしながら心配しています。マスコミは構造改革の先に何があるのか、人々の暮らしがどう変わるのかについてあまりいいません。「これまでのやり方では生きていけない、リスクをとれ」とだけいわれても、暮らしに追われる多くの人たちにとって不安を覚えるだけ。新聞の投書欄でも「誰が悪い、かれが悪い。おれたちの生活、今までの苦労をどうしてくれる」といった投書を多くみかけます。しかし筆者は現在の日本の閉塞状態をもたらした元凶を一つあげるとすれば、それはグローバリゼーション(ボーダーレス経済)だと思います。グローバリゼーションはいわば平成の「黒船」であり「敗戦」、これを避けて通ることはできません。川の流れをせき止めて、流れを緩やかにしてきたダムを開けなければならなくなったのです。
さて、グローバリゼーションによって日本がどう変わり、私たちは何を覚悟しなければならないのか。以下は素人ながら筆者が日ごろ考えているところです。
1. 世界一豊かな日本の生活水準
実感はありませんが日本の一人当たりGDPは世界一です。最近の円安で状況は変わっても世界一グループに属することは確かです。労務費は台湾で日本の1/3、中国で1/10程度といわれます。
私たちはこれを当たり前のことと思いがちですが、考えてみれば不思議な話です。日本人の能力が格段に優れているとは思えない。日ごろ接する中国人にはおどろくほど優秀な人がいるし、インド人はソフトウェア製作で世界をリードするといわれます。平均的にみれば日本人も中国人、インド人も能力は変わらないでしょう。
今の日本は過去の遺産を食いつぶしているという人もいます。戦後の廃墟から営々と働いて、昭和30年代になって電子機器、自動車などいくつかの分野で世界に通用するブランドを築き上げました。それらが日本に大きな黒字をもたらし、その恩恵に日本全体が潤ったのです。遺産もなく、保護もない「次男坊、三男坊」産業の電子機器や自動車産業が日本の成長を引っ張ったのです。国民みなの力とはいえません。その働き者の次男坊、三男坊が生産拠点をどんどん海外に移しています。
日本の国際競争力は平成5年まで世界1位だったのが、最近は13、14位。まだ落ちるとの予測があります[1]。スイスのある研究機関によれば「基礎研究の貢献」13位、「義務教育課程での科学教育」19位、「情報技術者の確保」34位など惨たんたる評価になっています[2]。
要するに、世界一の生活水準は先人、先輩たちの努力と僥倖によるもので、今の私たちの力によるものではないということを私たちは自覚しなければなりません。
2. 平等な社会
日本は平等な社会といわれます。しかしそれは神話で、平等性は北欧、ドイツなどより低く、アメリカ、イギリス、フランス、並といわれます[1]。南米、中国、インドなどにくらべれば日本はずっと平等な社会です(ただしホームレスや、職に就けない若者を除いた仲間内だけの話)。仲間内では単純労働でも高度の知識、技術を要する職種も収入は大して変わりません。
戦後の民主主義教育や労働運動の中で、人はみな平等とされ、個々人の結果の不平等は差別であり、社会、制度の問題とされてきました。日本人は格差にきわめて敏感で、わずかな不平等もきびしく追及されました。しかし戦前の日本は今よりずっと格差の大きい社会でした。表は1930年代のある企業での賃金(年収)格差です[3]。
3. グローバリゼーション
グローバリゼーションは国境がなくなることです。人の出入りが完全に自由化されることは今後もないでしょうが、出入りは確実に増えます。そして台湾、韓国や中国の人たちと同じ土俵で競争しなければなりません。国内の格差は必ず広がります。
所得の分布が広がったらどうなるか簡単なシミュレーションをしてみました。所得分布はピークが左に寄ったカーブになります(図の実線)。この例ではピークの位置をそのままにして所得のばらつきだけが大きくなると仮定したところ、平均所得が10%以上も高くなりました(点線)。注目したいのは実際に所得アップの恩恵を受けるのは上位1/3の所得階層だけ、残りの2/3は所得が逆に下がるという結果です。ほんの定性的なシミュレーションですが、格差が大きくなると全体としてプラス成長しても大方の人にとっては所得が減るということです。
緊急輸入制限やきびしい出入国管理で日本の社会構造を守ることは長期的には無理でしょう。産業の構造はどんどん変わります。今もっとも重要なのは職を失っても生活を切り詰めれば何とか暮らせる社会を作ることだと思います。セーフティネットが必要ですが、それを高いレベルに張ることはできないでしょう。物価が安くなるのはデフレスパイラルと心配されても底辺の暮らしには歓迎です。
グローバリゼーションで日本のプリント板産業はどうなるのか。中国のあるパソコンアセンブル工場で、CPUボードに中国製はまだ使えないので台湾から輸入しているとの説明を受けました。日本製の必要はないのです。日本でなければ作れないものはほぼなくなりました。かつて世界に名をはせた造船日本も、いまや韓国に太刀打ちできず、造船事業を持つだけで株価が上がらないといわれます。ものの生産が減るのは要らないからだと丘(きゅう)永漢はいいます。日本はいやおうなしに第三次産業、サービス産業に向かうしかありません。プリント板産業における第三次産業的な部分とは何なのか、それをあれこれ考えています。設計や高性能のプリント配線板の開発、新実装技術の開発はこれにあたると思いますが、どれも設備よりは個人の知識、技術に依存するところが大きい、かつ量産、設備産業に比べ効率が悪いとされる分野です。ただし近々台湾も、少し遅れて中国沿海部も第三次産業に向かうはずです。このような分野で台湾、韓国、中国の選ばれた人材と競争していける優秀な人たちは、「平等」のしがらみや国境を越えて飛躍することができるでしょう、またその力のない多くの人たちは今よりも減る収入でささやかに生きていくか、再起を賭けて新しい分野に挑戦するしかなくなるのでしょう。