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「ニッチ」

 20年ほど前、ある総合電機メーカー系シンクタンクが「日本の繊維産業の歴史を研究している」という記事を読みました。当時すでに繊維産業の海外移転が進み、国内産地の衰退、空洞化が大きな社会問題になっていました。このシンクタンクは「電機と繊維は産業の構造が似ている。電気機器は目下好調であるが、いずれ繊維産業と同じ経過をたどる可能性がある。それにどのように備えるかを今から研究しておきたい」ということでした。たしかにどちらも人手のかかる業種であり、すそ野の広い産業です。もっとも第三次産業、サービス業のほうがさらに人手がかかり、すそ野が広いのですが。この研究がその後どうなったか聞いていません。しかし現実は予想通り、繊維から少し遅れて電機産業も家電、パソコンなど量産品の多くが海外に生産移転することになりました。

 図は最近25年間の産業別就業者数の推移です[1]。農林業の就業者数は半分になりましたが、繊維工業は減り方がもっと急激で、88万人から24万人へとほとんど1/4になっています。60万人(家族を含めると多分200万人)もの人たちはどこへ行ったのでしょう。この統計には「繊維」とは別に「衣類・その他の繊維製品」という分類があります。こちらの就業者数を見ると25年間90万人のままほとんど変わっていません。「繊維」には紡績、織物、染色など繊維素材の製造が、また「衣類・その他…」には衣類、服飾製品のデザインや縫製が入るのでしょう。繊維素材の生産は大きく後退しましたが、繊維を使用した最終製品の生産は減っていないのです。繊維関係全体でみると生産の主体が素材から最終製品に大きくシフトしたことがわかります。


 電機関係はどうでしょうか。就業者数は1990年まで急速に増加しましたが、その後は減少しはじめ、1999年にはピークの87%まで下がっています。省力化の進展もあるのでしょうが、海外移転がより大きく影響していると思われます。一方、専門サービス業では就業者数がこの25年間一貫して増えつづけ2倍以上になりました。専門サービス業の中ではソフトウェア関係が多分大きな割合を占めています。図から電機産業でも繊維と同様、ソフトの比重が高まって、ハード生産が減ってきていることが見られます。プリント配線板の従業員数についてはどうでしょうか。JPCAの実態調査によれば、最近4年間でプリント配線板の従業員数は30%増、専門加工では50%増とどちらも大幅な増加となっています[2]。電機関係の就業者数が減少する中、プリント板関係の人員がなぜ増加しているのでしょうか。理由としては、@プリント板は電機のハードに属するが、ハードの中ではもっともソフト的な部分を担う業種である、A携帯向け高密度実装など先端技術で海外メーカーに先行した、などが考えられます。しかし日本のプリント板産業のこのような優位性を今後も維持していけるでしょうか。いまエレクトロニクスに限らず衣料、食品その他ほとんどの業種がなだれを打って中国生産に向かっています。プリント板関係でも中国に拠点を設ける企業が増えました。個々の企業としては当然の対応ですが、日本全体としては今後どうなっていくのか大変気になるところです。繊維製品でも素材ばかりでなく、最終製品のネクタイや和服の帯まで中国に移っているといいます。「京都と同じ品質の帯が安く織れる。絹織物の技術者も集めやすい」とのことです[3]。

 ものづくりでの中国の競争力は圧倒的で、日本だけでなく、台湾や韓国にとっても大きな脅威になっています。韓国では「コンピュータで追いつかれ、家電・造船もピンチ」[4]、台湾では「一部先端産業を除き、あらゆる工場を中国沿海部に移転しつつある。理由は低コスト。一人あたりの月給は6分の1」[5]と伝えられます。日本との比較では月給は25分の1とも[5]。

 つい数年前まで、アジア経済の雁行型発展(日本が先端技術、製品の開発を担当、その技術、生産が順次アジア諸国に移る、という構図)がいわれました。「共生」も流行語になりました。プリント板のある国際会議でも、無用な競争はやめよう、共存共栄を、話し合いを、との発言が日、米から出ましたが、アジア(台湾)にはすぐテーブルにつく気配はみられませんでした。

 いま日本でアジアの雁行型発展をいう人はほとんどいません。議論の中心は、日本はどのような分野で生き残っていけるのか。そのためには何を、どうすればよいのかということです。マスコミ記事のほとんどは、日本はあれがダメだ、これがダメだ、とあおり、対策としては念仏のようにリスクを取れ、もっとリストラをと唱えるだけ。あるひとの言葉「…私が学生たちにアメリカについて意見を聞くと、よい点はいくらでもあげられるのに、悪い点は何一つあげられない。この偏りはどこからくるのか…」[6]をマスコミにもぶつけたくなります。

 生物の世界には200万以上の生物の種が存在するといわれます。これだけ多様な生物が絶滅することなく共存していけるのはなぜか。それは、それぞれの種が固有のニッチ(生態的地位:食物源、捕食者、生息場所や運動様式のセット)をもっていて、それぞれのニッチが完全には重ならないからだとされています。さて中国のニッチはどこで、日本のニッチはどこにあるのでしょうか。中国のニッチは人件費が低いことが最大の強みで、その上に労働のモラールが高く、技術の集積も進んできているといわれます。奥地から出てきた若者も「働くことをおぼえた」とは中国に進出しているプリント板関係のある経営者の話です。しかし中国のニッチのこの特長は40年前の日本とそっくりであり、5年前の韓国、台湾とも重なります。中国で人件費が安いのは内陸部からほとんど無尽蔵に働き手が供給されることにあるのでしょう。日本もかつて、東北や九州から中卒の金の卵が集団就職の列車で都会に出てきて、高度成長の日本の生産を支えました。日本が豊かになり、農村が過疎化し、進学率が高まると、労働力不足は慢性化し、人件費が大きく上昇することになりました。台湾、韓国も国が豊かになるとともに、同じように労働力不足、人件費高騰の経過をたどっています。中国もいずれ国全体が豊かになれば人件費もその他経費も上がって、今のような価格競争力を維持することは難しくなるでしょう。すでに上海、珠海でも人件費が上がってきたと聞きました。一人っ子政策、少子化で高齢化も進みます。ただ中国の内陸、奥地は深いので、無限とも思える安い労働力の供給が止むまでにはかなり時間がかかるでしょう。しかしいずれ中国も落ち着きます。韓国、台湾も予想以上に早く成熟しました。今後世界はいずれにせよ成熟していかざるを得ません。成熟した国どうしがそれぞれのニッチの特長を活かして競争し、結果として共存していく時代になっていくでしょう。生物の世界と同じように。

 日本のニッチはどうでしょうか。日本はモノを集中豪雨的に輸出しながら、社会は世界から隔離して、静態的なニッチをつくってきました。まことに都合のよいスタイルですがいつまでもつづかない。海外から開放をせまられるのは当然でしょう。しかし諫早湾の堤防と一緒で、堰を開ければ環境が変わり、生きものは新しいニッチを探さなければならなくなります。日本のエレクトロニクス企業もさまざまな取り組みをしていますが、NECが「1人あたりの労務コストを現在の1/2の1時間2,900円以下に抑えろ」と国内工場に難問を突きつけている、との記事にはおどろきました[7]。ここでいう「労務コスト」はいわゆる「加工レート」で、主材料費を除く工場の人件費、経費(減価償却、電力、通信費等)を全部含めた費用を従業員数で割った数字です。省力化で従業員数を減らせば、製造コストが下がっても「加工レート」はいくらか上がるのが普通です。それを1/2にしようと取り組み、さらにそれをスローガンとして掲げる姿勢がすごい。簡単に言えば、給料、減価償却、電力等を全部1/2にすればよいのですが、どれをとっても困難は大きく、実現は容易でないでしょう。しかし、日本再生に通じる大きな挑戦としてその成り行きに注目しています。

[1]「日本統計年鑑」(総務庁2001)
[2]「電子回路産業の現状」(JPCA2001)
[3]「中国生産雪崩打つ企業」(日経01/5/17)
[4]「中国の生産力韓国が警戒感」(日経01/5/18)
[5]「台湾デフレに大陸の影」(日経01/5/16)
[6]鈴木孝夫「リーダー向け教育必要」(朝日01/4/18)
[7]「人件費圧縮 骨身削る工場」(日経01/5/18)

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