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「見えない品質」

 雪印食品の偽装肉事件にはおどろきました。なんと「偽装を見破れぬ店に出荷した」という。農協子会社も輸入鶏肉に国産のラベルを貼って出荷、そのあと続々と食品の産地、賞味期限の偽装が明るみに出ました。「羊頭狗肉」(注)とは1700年も昔の中国の史書に出てくる言葉ですが、その言葉どおりのことが現代のブランド企業で日常的に行なわれていたとは。入荷が間に合わなかったため産地の違うものを混ぜてしまった、法に反する行為であればまことに申し訳ない、との空々しいいいわけ。法律に違反しなければだましていいのか。経団連の会長が「もはや(まっとうな)企業ではない」と怒ったのは当然です。こんな行為が業界に横行していたとなると食品表示は何も信じられなくなります。農薬を使う隣の畑から逃げ込んでくる虫を一匹一匹手で取り除き、生い茂る雑草を抜いて無農薬野菜を作る農家や、配合飼料をやめて自家製の飼料で育てる畜産農家の思いは怒りというより嘆きでしょう。

 かつて親は子供に「ウソはどろぼうのはじまり」と繰り返し言って聞かせたものですが、今の子供はウソに対する抵抗感が少ないように思います。筆者は女の子の軽い「ウッソー」にも抵抗を覚え、「ホント?」と言って欲しいのですが。ウソが必要なときがあり、やさしいウソもあります。私たちは多かれ少なかれ日々軽いウソや冗談をとばしています。冗談なら日々の生活の潤滑材にもなりますが、問題なのは「金儲けのためのウソ」「人をおとしめるための」ウソです。

 ビジネスには基本的にウソがあってはなりません。取引は多くの場合、顔の見えないもの同士がお互い相手の言葉を信用して行なわれるからです。相手を疑わなければならないような取引はあぶないビジネスといえるでしょう。あやしい通信販売、訪問販売もありますが。

 ただし偽装に手を染めた企業の当事者がそれほどいいかげんな人物だったとは思えません。多分、組織に忠実なサラリーマンの、つらい思いをしながらの偽装行為だったのでしょう。他もやっているからと自分に言い聞かせながら。「すべて自分の意思でやった」いうのを聞くと胸が痛みます。家に帰れば女房、子供に対して、よき父親として振舞っていたでしょう。問題は偽装をさせる企業、業界の風土です。日本の製品は多少高くても信頼がおけると思っていたのに、身内のためなら何でもやる、そんな風土の国であったかと情けない。

 プリント板は外観・寸法検査、オープン・ショート検査を行って出荷します。これはいわば「見える品質」です。この検査に合格すればプリント板はとりあえず動作します。これ以外に、めっき厚、スミア、はんだ付け性なども大事な品質で、これらは抜き取りで検査されます。個々の製品や製造ロットの検査では見つけられない不良(めっき物性や内層異物)もあります。スミアも異物も製品の現物では確認できません。これをここでは仮に「見えない品質」と呼びます。買う側は相手を信用して買うしかありません。一方作る側は、原材料受け入れをきびしくし、製造工程を管理して見えない品質のレベルを上げるしかありません。しかしどこまでやるかが難しい。見えない品質の保証に手間をかけなくても製品はそこそこ使えるし、ていねいに管理しても100%保証とはならないからです。かつて筆者は海外のあるプリント板メーカーで、電気検査はやっているが外観検査の人がほとんどいないのにおどろきました。当時、日本では工場人員の1/3ほどが検査にかかっているというのに。また、見えない品質のできばえ(ワークマンシップ)は、製造現場一人ひとりの品質に対する意識、責任感に大きく左右されます。ハンマーでたたき、耳をこらして車両を検査する鉄道員、プリント板の外観が「おかしい」とすぐに言ってくるパートの女性、そういう人たちによって鉄道の信頼、プリント板の見えない品質が支えられていますが、それをおざなりにやるか、心をこめてやるかはその人次第です。いいかげんにやられても誰もチェックできません。手抜きやデータ改ざんが行なわれると、それをチェックで見つけだすことは至難です。不祥事のたびに再発防止策として、第三者によるチェックシステムが作られますが、一人ひとりが誇りと、自らの良心に従って仕事をするのでなければ、豆腐に豆腐のつっかい棒をするようなもので組織が丈夫になることはないでしょう。

 これまで日本人は組織に忠実で、その一方で組織に甘えかつ利用する傾向も強かったように思います。組織が強く、それに身を寄せていれば安全を守ってくれたからです。時代が変わり、永遠とみえた組織が次々崩れ、ようしゃない人員削減が進められています。筆者の周りにも定年前に会社を辞めた人が何人もいます。組織に寄りかかれる時代ではなくなりました。しかし考えてみるに、強い組織が個人を支えるのではなく、強い個人が組織を支えているのではないでしょうか。いまや集団に属さなくても一人で生きていける力が必要な時代になってきたようです。すでにスポーツの世界では、腕一本で世界を渡り歩き個性をアピールする日本人が出てきて、人気は日本の組織野球を押しのけています。自分を殺して、つらい思いで組織に従う必要はないと思います。

 村上龍が言っています[1]。「政治家は『2−3年痛みを我慢してくれ』という。では痛みを感じるのはだれなのか。国民すべてが感じるのではなく、失職した個別の人が地獄を見るわけです。(Q.個人の自立の大切さを訴えていますが?)自立が時代のキーワードだからです。...個の時代に、日本人はどうすべきかとか、どう生きるのかといった問題設定そのものが間違いです。日本人全員に当てはまるモデルなんてないのです。まず、個別に食べていくことを考えるしかありません。個人でいえば、自分の力で働いて報酬を得ること。企業でいえば、どこからも助けを借りずに収益を上げていくことです...」

 個が強くなければ全体が強くなるわけありません。コンクリートの強さはどこで決まるのでしょうか。以下はコンクリート工学の功労者、吉田徳次郎先生の話です[2]。「先生の講演は『よいコンクリートを造るこつが何であるか、わからないことがわかったのであります』ではじまった。先生は、堅硬な骨材を用い、水セメント比の小さい硬練りコンクリートを強力なバイブレータで締め固め、さらに加圧を行い、加圧したまま100℃で煮沸養生することにより1000kgf/cm2以上の圧縮強度が得られることを明らかにされた。当時、許容圧縮強度30〜35kgf/cm2とされていた時代である。先生は、この研究のため骨材置き場にあぐらをかいて粗骨材から丹念に死石を取り除いておられた。そして説かれた『コンクリート中に、木片、紙片、ワラキレなどを発見したときは、ご飯のなかの小石やゴミを発見したときのように、ただちにこれを除去しなければならない』と」。コンクリートの強さはセメントではなく骨材(砂利)の良し悪しで決まるのです。

 銅張り積層板のガラスクロス製造にかかわる知人から、「日本ではわずかの織りキズ、異物、色むらも不良とされる。しかし海外では少々のキズ、異物、むらは問題とされない。そのため海外品の値段は安い。日本のクロスは高いといわれるが、これでは太刀打ちできない。海外のクロスはやっぱり使えないのでしょうか」と訊かれました。筆者は「キズ、異物がスルーホールにぶつかればやはり障害が生じるでしょう。ただし確率はかなり小さいので、たいていの用途には海外材でも使えるでしょう。しかし心配は残ります。障害が起これば大事故につながる可能性があるので」と答えました。見えない品質にどこまでこだわるか、は難しい問題です。しかし長期的にはそれが製品の、企業のブランド力の決め手になると筆者は信じています。そしてブランドを長期にわたって支えるのは宣伝ではなく、現場一人ひとりの、組織のメンバーとしてではなく、人間としての誇り、矜持だと思います。

 注.羊頭狗肉:ようとうくにく。羊の頭を看板に掲げながら、犬の肉を売るとの意。看板は上等でも、実際に売る品物がごまかし物で劣悪であること。

[1]村上龍「会社も家族も同じこと。個人が自立するしかない」(朝日02/1/4)
[2]村田二郎「コンクリート茶話館」(技術書院H6.3)



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