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JPCA NEWS 2002.6 JPCA Home / Back / Menu / 前号 / 次号 「作る人、使う人」 |
先日、多摩動物園でチンパンジーが竹笹を使ってえさを取るところを見ました。直径3メートルほどの透明なプラスチックの円筒の中にりんごの切れ端がいくつか置いてあります。円筒には数箇所に穴があいていて、チンパンジーが穴に腕を入れ長い竹笹を使ってりんごを移動させ円筒の底の穴に落とすとりんごが出てくるようになっています。チンパンジーが道具を使うことはよく知られていますが、面白いのはチンパンジーが道具の使い方をいろいろ工夫する様子です。竹笹は曲がりやすく扱いにくい。そこで竹笹を取り替えてみる、差し入れる穴を替える。右手でとどかなければ左手でやってみる。やっとりんごが落ちてきたら、ちらとも見ないで口にもっていく。その速いこと。 人間も原始時代は、自分が使うものは自分で作りました。いろいろ工夫して手に入れる食糧や作る道具が増え、さしあたり自分が必要とする量以上にできると、余ったものを蓄えたり売ったりしはじめ分業が生まれます。物を作る人と使う人が分かれ、自分では作りも使いもせず、両方の間に入って物を取り次ぐだけの人も出てきます。こうして生産者、消費者、流通の立場が固定してくると、お互い、生産から消費までの全体を、また自分以外の立場を理解できなくなって、それぞれ内部の論理、価値観だけで行動するようになります。故宮や正倉院の収蔵品、大名の調度品などを見ると、およそ実用からかけ離れ、贅を尽くした過剰なまでの装飾におどろかされます。名もない職人が多分一生座り込んで、なかには2代、3代かけて作り上げたようなものがあります。それを可能にするのは、誰もやらなかった比類ない物を完成させるという芸術家、職人の悦びか、誇りか、それとも食うためのつらい仕事であったか。そんな道具をお嫁に持っていったお姫様にはたぶん全く理解できなかったでしょう。 物の作り手と使い手の間にはおのずから社会的な順位があって、使い手、買い手は大体いつも作り手より優位に立ちます。「売ってやる」は例外で、「お客様は王様、無理も聞かなければならない」が普通です。社会が発展すると限りなく業種、職種が分かれていきます。1つの企業の中でも、職種や工程によって、物を作る人、それを使う人、サービスをする人、される人に分かれていきます。実際はどの個人も作る、使う両方の立場があり、その場その場で使い分けています(使う言葉も違う)。原材料、部品、治具工具の製造はものづくりの上流ですが、組織の中での立場はたいてい下流のユーザー、組み立て、販売部門より低くなります。企業の目的は社外のお客に向けた製品の製造ですから、最終製品に近いところが主流となり優位に立つのは当然の成り行きでしょう。どの企業もお客に対しては下手に立つわけですが、お客の多少の無理難題、勝手も、お金を払ってもらうことで埋め合わせがつきます。しかし企業内の分業では、使う側、サービスされる側のほうが幅をきかせると、もっぱら使われる側、サービスする側の人たちは、給料が同じでもなんとなく面白くありません。どんな組織も巨大化するとこうした上流・下流、本流・傍流、表に立つ部門、縁の下で支える部門の利害、思いが複雑に入り組んで、組織の一体感を保ちにくくなります。巨大組織の典型は軍隊とカトリック教会といわれますが、そこでは「鉄の規律」で組織を維持しています。「同じ釜の飯を食った仲間」の意識を強調するだけで組織まとめていくのはむつかしいでしょう。国でも企業でも規模が大きくなり過ぎれば統制がとりにくくなり、分割、分社するのは自然の成り行きと思います。 一昔前、パソコンの前身、マイコンが登場したとき、電機メーカーの専門家だけでなく、大学の研究者やマニアも興奮しました。能力は今のパソコンの1万分の1足らずでも一人前のコンピュータです。プログラムを入れさえすれば一つのキカイで何でもできる、無限の可能性を秘めた自分専用のおもちゃです。部品を買い集め、慣れない手つきではんだ付けして組み立て、市販ソフトはないのでプログラムも自作しました。プログラムの作品発表も多く、アルゴリズムの巧妙さを競いました。権威ある科学雑誌「サイエンティフィック・アメリカン」に数行で書けるウィルスプログラムが紹介されたこともあります(注)。そのような環境の中でマイクロソフトやアップルコンピュータが生まれました。当時カリフォルニア大学バークレー校に在学中の孫正義(ソフトバンクの創立者)とビルゲイツは同じ頃に雑誌「ポピュラーサイエンス」に載ったインテルチップの拡大写真に衝撃を受けたといいます。 それから20年余り、パソコンの機能は1万倍にもなり複雑化した結果、実用になるソフトウェアを個人で一から作ることはほとんどできなくなりました。ソフトウェアはもっぱら市販のものを使うしかなく、自転車を分解したり、模型をいじるような楽しみはなくなりました。ただしそのおかげでパソコンがコンピュータオタクだけのおもちゃでなく、老人子供でも使え、女性にも認知されるようになりました。ソフトには「自在に変更できる」という意味があると思いますが、いまやソフトウェアは中身の見えないブラックボックスで素人には手が出ません。今の市販のソフトはどれも実に機能が豊富でよくできていると感心します(最近のマッサージ機にかかると、つい、プロに揉んでもらっているような錯覚を覚えます)。 少し経験のある筆者には、ソフト開発の難しさ、メンテナンスの難しさがわかります。実際、バグは出てあたりまえです。最終システムの性能もさることながら、欠陥のないソフトウェアの開発とその完全性の検証がむつかしい。みずほ銀行のシステムトラブルでみずほはさんざんたたかれましたが、システムの開発部門ばかり責めても仕方がないと思います。2000年バグ(2000年経たないと現れない欠陥)もあるといわれるソフトウェアの世界です。チェック期間が短すぎた、急ぎすぎたことが最大の問題でしょう。不具合はハードのほうが単純です。病気でいえば、ハードの欠陥はケガ、ソフトの欠陥は内科の病気でしょうか。 IT不況やハード生産の急速な中国移転を受け、世界の大手電機メーカーはこぞってシステム指向、サービス産業指向を強めています。IBMがいち早く目指し、成功した方向です。各社その方向に向け、系列、グループを超えた大胆な事業再編、「選択と集中」を進めています。日本IBMはプリント板事業を本体から切り離し、東芝はプリント板事業を大日本印刷と統合、また日本電気は事業を凸版印刷と統合、東芝ケミカルは会社ごと京セラグループに移るなど、最近のニュースにはおどろかされます。しかし上に述べてきたように、企業の規模が巨大化し、事業分野が広がってくると、事業の分社、分割は時の流れであろうと筆者は思います。また、このような再編で本体から離れる人たちにとっても必ずしも悪いことではないと思います。今まで主流から離れていた自分たちの仕事が、新しい職場ではメインの業務となることであり、活躍の場が広がりこれまで以上に充実した仕事ができる可能性も大きいのではないでしょうか。古巣の企業はお客となり、納入価格と品質・技術でタイで渡り合う相手となります。競争相手も増えて、楽ではないと思いますが。そして日本のプリント板産業の競争力が全体としては上がり、プリント板のハード生産でも中国などに負けないようになることを期待しています。 ただし若干の不安があります。ここ数年の学会講演大会での発表件数を拾ってみますと、企業ではNECがトップ、あとに日立、富士通、東芝、三菱電機とつづいています。日本のプリント板技術の開発は、材料、装置メーカーを別にすると、これら大企業によって支えられてきました。事業再編でプリント板部門がこれら大企業から分離された後、日本の技術開発力が低下しないか懸念されます。再編で製造コストを若干下げても、開発がとまれば長期的には海外メーカーと競争していくことは難しいでしょう。再編が技術開発力の面でもプラスになるよう祈っています。 注.もっとも簡単なウィルスプログラム |
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高度成長期、東京練馬にも大根畑が広がり、生産者の姿が見えた。今それを取り戻そうと「スローフード運動」がはじまっている(日経6/1)。 |