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JPCA NEWS 2002.8 JPCA Home / Back / Menu / 前号 / 次号 「ウオーキング・ハイ」 |
何年ぶりかに尾瀬を歩きました。ニッコウキスゲの大群落が草原を埋め尽くし、夕方にはヒウチ嶽を、朝には至仏山を背景にみごとな景色をつくっていました。足元を見ると、木道のわきにいろいろな高山植物が小さな花を付けています。筆者はどちらかというと遠くの景色をぼんやり眺めるのが好きですが友人は細かいところに目がいく。あんな花が咲いている、この花は変わっている、花びらが違う、葉っぱが違う、など細部がよく見える。「神は細部に宿る」とか。5時間ほど歩いて山小屋について、荷物を下ろし、空身で木道を原の散策に出かけてすぐ、友人の一人が突然木道の上に倒れました。つま先を靴ひもにひっかけたようです。木道は歩きやすいが、意外に危険もある。雨上がりは滑りやすいし、踏み外すと深い沼に落ち込むこともある。足元は悪くとも道幅が広い方が安全ともいえます。
山歩きの楽しみは遙かな遠景を眺めること、木々の緑や道ばたに咲く野草を見ながら歩くことですが、リズムで歩くこと自体が快適です。ジョギングでは一定リズムである時間走るとランナーズ・ハイと呼ばれる恍惚状態に入ります。ある種の麻薬が分泌されるためで、ジョギングが病みつきになるのはそのせいだといわれます。ウオーキングでも速足で30〜40分も歩くと、疲れを覚えず自然に足が前に出る、歩いていることすら忘れる、といった状態になります。これをウオーキング・ハイといいます。犬を散歩させていると、はじめのうち右に左にちょろちょろしていたのが、ある時間歩くと、耳を立て真直ぐ前を向いてひたすら歩くようになります。それを見て犬もウオーキング・ハイ状態に入るのだなと思うのです。
尾瀬を歩くと立派なカメラを担いだ人に大勢出合います。「いい写真が撮れましたか」と訊くと「歩きながらでは撮れないですね」と返ってきました。座り込んで時間をかけないといい写真は撮れないと。山歩きも始終景色や草花を見ながら歩くのは危険であり、疲れもします。足元をみながらひたすら歩く、1時間ほど歩いたら、小休憩して景色を眺めるという歩き方がよいようです。あれもこれも同時に、ではリズムができません。
さて、日本経済は回復が遅れ、政界、企業での不祥事が相ついで、いまや日本は最悪の状況にあるかのような報道があふれています。グローバル化の時代、今までのやり方はすべて古い、広い視野、グローバルスタンダードを身に付けろ、と。敗戦直後、古きよき日本の道徳、価値観もすべて「封建的」とひとからげに否定され、ネコも杓子も「民主的」に流れたように。新聞を丹念に読み、ニュース解説を欠かさず聞いているまじめな人たちは不安にかられ、ますます落ち込んでいきます(新聞は読まない、ニュース解説も見ない、先のことは考えないという人も多いのですが)。「xx問題研究班」といった記事はおおむね論調が気に入りません。日本はあれもダメ、これもダメ、問題だらけ、お先真っ暗、そして記事の最後は「...が問われている」と。お前ならどうするのだと言いたい。 新聞でも署名のある記事や大学、経済界、知識人の発言には冷静で納得できるものがあります。 「来日する外国人の多くが、外国に報道されている「暗い日本」と、現実に見る日本の街の活気や安全、人々の親切や礼儀正しさとの差に驚き、かつ安心して帰国する。
失業率が常時10%前後の欧州の人々にすれば、5%台の日本は驚くべき数字ではなく、それを「最悪、最悪」と伝える報道は不思議に映るようだ。貧富の差や暴力、犯罪などを社会に抱える米国や中国の人々のなかには、「豊かで、平等で、安全な日本」がうらやましく、それこそ外国に報道される価値があるという。
外に対して「暗い日本」を報道しがちな傾向は、内に対して「批判される弱い日本」を伝える傾向につながる。...自己批判の精神は大いにけっこうであるが、一方で彼我を比較考量する客観的な目がないと説得力を欠く。
それに外国の日本批判のなかには、意図的なものもある。日本の国際競争力が最強の時代に、「日本異質論」とか「政官財のトライアングル」とかが外国から盛んに流された。あまり真に受けない方がいい。...」[1]
「バブル崩壊以降、終身雇用や年功賃金など、日本型雇用制度を否定する論調が目立つようになった。しかし、その内容は四十年以上も前に書かれたアベグレン氏の有名な著書、「日本の経営」と全く同じで驚かされる。
同書の第七章、「日本の工揚における生産性」では、終身雇用や年功賃金に対する否定的な見解が述べられていた。日本の工揚の生産性は米国に比べて低い。日本の雇用が終身的なので、規模と費用の面で硬直的な労働力を維持しなければならないからだというのである。非能率的な従業員であっても会社を辞めさせることは難しいので、管理部門や現場で明らかに不適当だと判断された人であっても、害のない地位を見つけ出して移動させることになる。しかも、年功賃金では生産に対する欧米流の着実かつ効果的なインセンティブ(誘因)は取り去られる。また、失敗の責任を特定の個人にとらせることを避ける習慣があるので、米国では考えられない品質管理上の問題が発生しているというのである。
しかし、日本の高度成長を目の当たりにし、その新版として「日本の経営から何を学ぶか」を出版した際には、この否定的見解は章ごと削除されて、見解を百八十度転換する。
つまり、年功賃金なので、成長企業は人件費を抑制しっつ、最新の技祈教育を受けた学卒者を多数確保できる。しかも終身雇用なので、学卒者の側も将来性のある企業を慎重に選ぶ。成長企業に有利な仕組みだというのである。
終身雇用と企業別組合のおかげで、日本企業は労使関係に破滅的なダメージを与えることなく、企業内の配置転換によって、すみやかに革新的な技衝を導入できたとも指摘した。
こうした評価の逆転の歴史は、きっとまた繰り返す。評価に一喜一憂することはもうやめよう...」[2]。
「ここ数年来、エコノミストの多数派は、日本型システム(制度・慣行)に悪口を浴びせ続けている。いま日本型システムを非難する論者が10年前に日本型システムを褒めちぎっていたことを思い起こすと「エコノミストの舌の根は人一倍乾きやすいのでは」と疑いたくもなる。...セットメーカーと部品メーカーの長期的かつ安定的(ゆえに不公正)な取引関係である「系列」は、日本の企業が良い物を安く作れる秘訣だともてはやされていた。終身雇用、年功厚列賃金、企業別労働組合などの日本型雇用慣行が、世界の模範と絶賛されてもいた。
以来10年余りを経たいま、日本型システムを不況の元凶と決めつけ、起死回生の秘策は米国型システムの模倣にありとするのが通説となった。 80年代には日本経済絶好調・米国経済絶不調だったから日本型システムが勝っているとされ、90年代には日米が逆転したから米国型システムが勝っているとされるようになった。大方のエコノミストは「終わり良ければすべて良し」の結果主義者なのだ...」[3]。
筆者は、先を見通すこと、周りを見まわすことも必要だ、人の話に耳を傾けるのもよろしい。しかし年中そればかり気にしていると肝心の足元が危うくなる、ということです。山歩きと同様、ときどき立ち止まって周りを見渡し、自分の居場所と進む方向を確かめ、一服するとまたこつこつ足元をよく見ながら進んでいく。荷物を背負って歩くこと自体がウオーキング・ハイをもたらしてくれればもっといいのですが。
ネコが車の多い道路を横切る様子を見ていると、いったん停まり、左右を確認してから、一気に走りぬけます。歩きながら考える、というのはあまりよくない態度、迷い悩むのはもっとよくないのではないでしょうか。 |
| [1] | 坂本吉弘「報道の日本、本当の日本」(日経02/6/10) |
| [2] | 高橋伸夫「変わる評価」(日経02/5/31) |
| [3] | 佐和隆光「日本型システム」((日経02/6/7) |

「遠くまで伸びる木道、景色に気をとられると踏みはずす」