JPCA NEWS 2002.9

JPCA Home / Back / Menu / 前号 / 次号




「自然選択」

 夏休みに小学生、幼稚園の子ども連れで温泉旅行にでかけました。朝、湯から上がって、軽く一杯やりつつ小学生に、「・・・あさ寝、あさ酒、あさ湯がだい好きで、それでしんしょう(身上)つぶした。はあー。もっともだ、もっともだ」を教えていたら、横から幼稚園が「早寝、早起き、お外は帽子」と口を出したので思わず笑ってしまいました。

 かつて、働かざるもの、食うべからずといい聞かされ、小さい子どもも何がしかの手伝いをさせられたものでした。今の子どもはほとんど手伝いません。駄賃という言葉も消えた。小学生になると部活、宿題や塾で予定が詰まっていて、ぼんやり夏休みを過ごす余裕はないようです。なに不自由なく、やることがいっぱいある今の子どもは幸せといえるでしょう。しかしこの子どもたちの10数年後はどうなっているでしょうか。最近の新聞を見ると不安を覚えます。学校についていけるのか、働きたくても仕事に就けないのではと。

 まず、学力の低下。筆者の接するプリント板関係の若い人たちはみなまじめでそれほど意欲、能力が落ちているとは思えませんが、学校現場での学力低下、意欲の低下は深刻なようです。ある難関大学の電気系の先生。「電気電子材料概論の最初の試験に『固体、液体、気体の代表的な絶縁材料の例を挙げよ』という問題を出したところ、液体絶縁材料では141の答案中、水と書いたのが30、水銀と書いたのが4例あり唖然としました。大学4年生でもわが国の交流送電の周波数が50あるいは60Hzであることを知らない学生がかなりおり、なかにはKHzの値を挙げるのもいます。」

 ある経済の先生[1]。「大学では日本の産業や企業の現状を広く学生に教えるような授業がどんどん減っています。一方で、たとえばマーケティングは「マーケティング」「消費者行動論」「商業論」と三つに分け、コンピューター関連の授業を三つも四つも必修科目にして教える。実用的な科目が増えるから、入門的な、あるいは大局にたって全体を見渡すような授業がどんどん押しやられていく。

 最近の不景気、バブルが弾けた話をする。1985年のプラザ合意と円高シフトについて説明をしたら、学生が、「円高って何ですか」と言うのです。それは三年生の授業です。「君達、二年生のときに経済学で教わっただろう。何を教わったんだ」と言うと、「数理経済学の何とか曲線というのを、数学を使って一年間教わりました」なんて言っている。経済学という科目はあっても、国際通貨や経済成長といった基本的なことをきちんと教えていない。円高すら説明しないようなわけの分からない授業が平気で横行し、先生が狭い分野で勉強した成果を学生にそのまま教えている情況が至るところで見られる・・・

 授業をしているのに学生がワーワーしやべるので、うるさい。どの大学でも一割余りは真面目に授業を聞こうという学生がいます。三十人ほどは教壇の近くにすわり、私の授業を聞いている。マイクで喋っているのに、前のほうの学生にも聞こえないほど騒音がひどいときには、私は怒鳴って、叱りつけます。そうすると、血圧は上がるし、頭は痛くなるし、心臓は苦しくなる・・・

 中国と韓国の留学生が私のところに来まして、「どうして日本の学生はこんなに勉強しないのですか。日本はどうなるのですか」と言われたときの、私の恥ずかしい気持ち。

 働かない若者も気にかかります。今春卒業の大卒の2割、高卒の1割、計28万人が進学もしない、就職もしないとのこと。また、昨年は就職者626万人に対し、離職者は701万人(一昨年の40万人増)にも達した。19歳以下では1年間に半数近くが離職しているという[2, 3]。きびしい経済情勢がもたらしているのですが、働く意欲を持たない若年、「仕事につかなくても構わない」と、衣食住を親に依存するパラサイト化が着実に増えているといわれます。

 若者の失業はヨーロッパでも中国でも、楽園タヒチにも及んでいるようです。「私の家はタヒチ島の険しい山に連なっている。・・・私は近代文明が達する以前のタヒチの島のことを夢想した。自然の中の暮らしは、さまざまな種類の労働がある。畑の世話や植物採集、水汲み、パンダナスの葉を編んで籠を作ったり、ココナッツ・ミルクを絞ったり、そこから発酵ソースを作ったり。大家族の構成員には、必ず何かしら役割があったはずだ。

 それが今、タヒチ島は、仕事のない若者たちで溢れている。ポリネシア語には「働く」という言葉はなかったという。資本主義の流入と共に仕事の概念が入りこみ、金銭獲得の座を得られない者たちに失業者というレッテルが貼られるようになった。

 私の住む島はずれの村々では、十人家族のうち二人に職があればいいほうだ。仕事のない多くの若者たちは、海辺で日がな一日サーフィンをして過ごしている。・・・

 そのタヒチ島では空き巣が横行している。失業状態の若者たちの不満は、サーフィンでは解消できなくなっている。失業者にとって、切実なのは金だ。土地はふんだんにあり、食物がたわわに実っている島であっても、金を求めての、犯罪が横行する。」[4]

 「近ごろの若者は・・・」はギリシャ時代からあるという。筆者の時代も「近ごろの学生は勉強しない」といわれました。しかし人類学者によれば人間の形質は1万年くらいではほとんど変わりません。人間が技術に関する精神機構の取得に500万年(25万世代)、言語の取得には多分200万年(5万世代)かかったとしています[5]。「人が変わった」といいますが、性格はなかなか変えられません。世の中は世代が代わることによって変わっていくのです。

 若者の「勉強しない、働かない」はどこからくるのでしょうか。頭が悪くなったのでも意欲が衰えたのでもない。勉強しなくても、働かなくても食える豊かな日本がこのような若者を作っているのだと思います。幼児は親の顔色を敏感に読み取り、甘えられると思えばとことん甘えます。若者も「世間に通る」と思えば傍若無人(ぼうじゃくむじん)にふるまい、しなくてもすむと思えば勉強しません。何とかなる、何とかしてくれる、と大船に乗った気分がそうした行動をさせているのでしょう。安泰と見えた日本の大船も危ないと、親たちは日々実感していても、子どもはそれを知らない。知った時には遅すぎる。そして慌てる。ある先生は「学生は就職のときになって、はじめて世間を知るのです」といっていました。

 弱者をまもるセーフティネットや相互扶助は、人間社会を動物の世界から区別する大きな要素でした。しかし、経済や情報のグローバル化で、セーフティネットを支える国家や共同体の力は弱まりました。結局、セーフティネットのレベルは下げざるを得ない、それが今いわれている自立、自己責任です。動物世界の「自然選択」の方向に向かうということでしょう(注)。村上龍は的確にいっています[6]。「まず、個別に食べていくことを考えるしかありません。個人でいえば、自分の力で働いて報酬を得ること。企業でいえは、どこからも助けを借りずに収益を上げていくことです。日本がどうなるかということと、個別の人や企業がどうなるかは、分けて考えたほうがいい。」

 とはいえ雇用情勢はきびしい。働く意欲があっても職に就けない状況があります。「自己責任」といっているだけでは無責任です。「若年失業のほうが深刻。中高年雇用優先は誤り」という人もいます[7]。自営業が減っているのは日本とフランスぐらいとのこと。ベンチャーというほど立派でなくていい、「小商い」でもはじめる人が増えてほしい。職人志願や農業をはじめる人が増えているそうです。その人たちにはなんとか成功して欲しいが、道は多分平坦でないでしょう。頂上でなくても、中腹、山すそでも、食うだけは食える環境をつくるのが国や社会、先輩諸氏の責務と思います。

 注 「自然選択」とは、進化は生き残る子の数が最も多い個体に有利に働く、ということ[5]。以前は「淘汰」と呼ばれていたが、弱肉強食のイメージを避け「選択」を使うようになった。自然選択は、有利な「種」が生き残こるというのではなく、子孫を残せる「個体」が有利ということ。

[1]森川英正「旧制高等学校廃止の経緯とその影響」(学士会報2002-V)
[2]「働かない若者」(日経02/8/16)
[3]「離職者最多701万人」(日経02/8/9)
[4]坂東真砂子「『楽園』の失業」(日経02/7/7)
[5]ロバート・トリバース「生物の社会進化」(産業図書1991)
[6]村上龍「個人が自立するしかない」(朝日02/1/4)
[7]玄田有史「中高年雇用優先は誤り」(日経02/8/17)



「たわわなぶどうも「自然選択」の産物ではない。土壌と丹精こめた手入れで育つ。」

JPCA Home / Back / Menu / 前号 / 次号

社団法人日本プリント回路工業会
Japan Printed Circuit Association