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JPCA NEWS 2002.10 JPCA Home / Back / Menu / 前号 / 次号 「山の形」 |
「千年、木で育った檜は、材になっても千年もつ」、西岡常一さんの言葉です。西岡さんは法隆寺の解体修理を手がけ、薬師寺の金堂、西塔を再建した伝説的な宮大工の棟梁です。1300年前に建立された薬師寺は火災や戦火で多くの建物を失い、フェノロサに「凍れる音楽」とたたえられた東塔(三重塔)だけ残されていました。筆者は若い頃、唐招提寺から薬師寺の道を何度か歩きました。人もまばらな境内に三重塔がひっそりと建っている、その土壇に腰掛けてぼんやり昔を偲んだものです。数年前に訪れると、赤と白のあざやかな金堂、西塔が再建され往時の姿を取り戻して、修学旅行でにぎわっていました。
西岡さんは再建にあたって「300年もてばせいぜいのコンクリートを使うのは納得がいかん」と檜の使用を主張し、樹齢千年、二千年の檜を求めて台湾に渡ったそうです。薬師寺再現工事事務所の所長さんは熱く語っています。「いま、私達は白鳳時代の建物を、いま知り得る限りの知恵を集めてを再現しようとしています。この建物を少なくとも、1000年先の人に伝えたいのです。400年後には、解体修理しなくてはいけません。そのときの大工さんの為に、いま出来る精一杯の仕事をしてしているのです。400年先には、西岡棟梁以上の大工さんが現れて、私達の気持ちを理解して修理してくれると信じています。法隆寺の建物が、幾多の大工さんによって支えられたように、きっと薬師寺の建物も守りつがれて行くと信じています」[1]。
このような時間の流れは今日の感覚からすると2桁ほどゆっくりしているように思います。寿命1000年を10年に、オーバーホール400年を4年にして今の感覚に合うのではないでしょうか。それにしても、開発に半年、製品寿命は1〜2年というのは、やっぱりおかしい。「千年持続学会」という学会ができ、生物に学ぶ、先人の理念を地域社会で実証する、危機の回避や制御を議論するといいます。千年持続させるのに不可欠なのは、匠(たくみ)の技と、それを受け継ぐ人、良質の材料としています [2]。
ものが生まれ、育って、消えていく時間のスケールには、桁違いに長いものと短いものがあります。星の寿命は100億年、その星が誕生するのに1千万年くらいかかるそうです[3]。上記の材料や文明(社会、技術)の寿命、何千年は長いほうですが、短いものは製品や相場(株価、為替レート)です。預金金利は年率0.1%以下というのに、株価は時に1日3%も上下します。為替レートは1日1万回も変動するそうです[3]。株式市場では最近、人手を介さないプログラム売買(注)が増え、全面安、全面高など相場が一方的になりやすいといわれます。どこのコンピュータも同じ判断で売買するためのようです。こうして、実体経済とは関係のない高下を毎日繰り返し、実体経済の何倍ものお金が動き回っています。こんなのはゼロサム、虚の世界だと思っていても、株価の高下でたくさんの企業がつぶれ、人が職を失ったりするのをみると、つくづく世界はモノづくりとは別のところで振り回されていると思います。
しかしながら、一見無意味に乱高下する株価やバブルに揺れた地価なども、少し長い目で見ると時代の流れ、あるいは時がたっても変わらないものがみえてきます。ものづくりにかかわる私たちは、株価や為替の日々の変動に右往左往するのでなく、長期的なトレンドを見て行動したいものです。
図1は日経平均株価とその30年移動平均、図2はバブル前後の地価の推移です。日経平均は6年ほどで6000円から4万円まで一気に駆け上がりましたが、その後起伏を繰り返しながら下がりつづけ、12年で9000円まで戻ってしまいました。山の形でいうとミズカキ山(挿絵)か妙義山か。日経記事ではこれまでの蓄積がゼロになってしまったと嘆いていますが、図の30年移動平均でみると、株価はなおゆるやかに上昇しています。株価がこの移動平均ラインを下回るところまで下がった今、バブルの精算がやっと終わったといえるのではないでしょうか。どこまでもスパイラルを描いて落ちていくことはないと思います。バブル期の地価は7〜8年でピークに達し、三大都市圏の商業地で3.5倍に、全国の住宅地でも2倍に上がりました(図2)。地価はその後一転して下がり続け、ピークから10年経った昨年にはバブル前の水準に戻ってしまいました。これもバブルがマクロ的にはやっと終わったということなのでしょう(ミクロ的には後遺症をいっぱい残しているが)。山の形は槍ヶ岳にそっくりです(挿絵)。ただ、株価や地価が大きく変動する期間中も、国内GDPはこの20年ゆっくりながら着実に伸びています(図2)。そして「・・・平均年齢50歳のカルチャースクールの女性たちは――今が一番いい時だ、といい続けている・・・」[4]。GDPは株価、地価だけで決まるのでなく、あらゆる産業、さらには社会全体の地力を示すものだからでしょう。図3は1820年以降の日米の1人当たりGDPの推移を示したものです[5]。まず、米国のGDPがこの180年もの間、きわめて安定した成長をつづけているのにおどろきます。この期間には世界恐慌も、2度の世界大戦もあったのに長期的にはトレンドはほとんど変わっていない。英国のGDPも成長率は米国より少し低いが同様に安定した長期トレンドを示しています(グラフは省略)。図に見る日本の成長パターンには起伏があり、いくつか異なるフェーズがあるようです。戦後の高度成長でGDPは急上昇し、世界の奇跡といわれましたが、あたかも敗戦前後の成長の遅れを懸命に取り戻す過程であったかのようです。明治以降100年を通してみると、途中で落ち込みの時期はあったものの大体一つの線に乗っているといえないでしょうか。世界恐慌や敗戦など激動期を何回も経験し、その都度社会は大きく変わったように見えても、基本的な社会構造や体質、活力は、そして日本人のメンタリティもあまり変わっていないことによるのではないでしょうか。そして高度成長期の成長率は今後は不可能にしても、明治以降100年をならした成長率、少なくとも米国並みの成長率を達成できる潜在能力を日本は持っていると筆者は信じています(なお、図3は1人当たりGDPの推移です。人口が減ればGDPも減少することになるでしょう。日本の出生率1.4がつづくと人口は1世代で70%に減る計算です)。
図1や図2を見て気づくのは、景気の山は登りの期間と降りの期間がだいたい同じ年数かかっていることです(降りの方がおおむねゆっくりしていて、降りきるのに若干長い年数を要する)。登山の登りはきついですが、降りも思いのほかきつく、時間もかかり、事故も起きやすいものです。IT産業は今不況のさなかにありますが、原因としてITバブルの崩壊も挙げられています。筆者はバブルがあったとしても長期的には(移動平均で見れば)ITは確実に浸透し今後さらに拡大していくと思っています。短期的にはバブルの坂をもう少し降らなければならないとすれば、怪我しないように用心深く降りていきたい。そして、あまりにも短寿命の「製品」でなく、より寿命の長い「技術」を育てていきたい、またその潜在能力を日本は持っていると信じています。 |
| [1] | 小倉実「建物のいのち」(「ふくい・木と建築の会」2000/5) |
| [2] | 「千年持続学会」(読売02/5/13) |
| [3] | 高安秀樹「エコノフィジックスの誕生」(朝日02/5/17) |
| [4] | 秋山駿「女であり母であるもの」(日経02/9/29) |
| [5] | アンガス・マディソン「世界経済の成長史1820〜1992年」より筆者作成(東洋経済2000/8) |
| 注 プログラム売買: 銘柄をその都度取捨選択することなくコンピュータ任せで大量売買する。現物、先物の価格差を利用して利ざやを稼ぐ裁定取引など。 |



