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JPCA NEWS 2002.12 JPCA Home / Back / Menu / 前号 / 次号 「癒しと尊敬」 |
小柴さん、田中さんのノーベル賞受賞は、このところ暗い気分になりがちな日本に久しぶりに明るい話題を提供しました。なかでも島津の田中さんの場合、ごく普通の無名のサラリーマン研究者がいきなりスターダムに押し上げられました。研究内容の全く分からない女性にも、ひょうひょうとした人柄と謙虚な言動は大人気で、「いいオーラの人。癒やし系」にされてしまいました。「作業服姿が見てみたい。結婚するなら、田中さんみたいな人がいいかも。きっと河原を二人で歩くだけで、幸せ。田中さんグッズがあればぜひ欲しい」というさわぎです[1][2]。小泉首相との会食で出たものは「焼き魚とか...あと覚えていません」や「新婚旅行は東京に行きました」となつかしいナイーブさですが、まったく真面目、実直なエンジニアのようです。こんな人が自分の周りにもかつて(あるいは今も)何人かいたような気がします。
「(10/9、作業衣で受賞会見)会社では綿のシャツに作業衣をはおって働いているから、あれが正式の仕事着。その夜、妻に携帯電話をかけて、背広、ネクタイ、靴下の場所を聞く。明日は背広を着ていかなくてはいけないが、どの背広とネクタイと靴下を組み合わせればよいのか、私にはわからない。冬物の背広は2着、ネクタイは4本しか持っていなかった。(10/12)富山から帰る妻を迎えに京都駅へ。久しぶりに妻と二人で自宅で夕食。コンビニのおにぎりを食べる。10/8の夜はとんかつと味噌汁だった。同じ食卓を囲んでいるが、生活は4日前と天と地ほど変わってしまった。私は普通に近い(変人という人もいるが)サラリーマンで、公のことに対しては関心がなかったし、世間も私達に関心を向けなかった。(10/15)これまでの肩書は「主任一級」で10人弱のグループの長として、新製品の開発研究をしていた。昇進試験を受ける権利もあったが、辞退したり、真剣に受けなかった(つまり試験に落ちた)。今回の受賞で部課長待遇のフェローにしてもらう。課長や部長になると人やお金の管理をしなくてはいけなくなるが、主任のままではやりたいことを研究する権限がないので。(10/16)レセプションの壇上で舞妓さんから花束を貰い、写真を撮られる。ずっと「モテない君」だったので、美女から花束をもらうのはとても恥ずかしい。今ごろモテても仕方がないなあと思う 」[3]。
田中さんは授賞式の英語スピーチが気がかりといっていますが、どうしてうまいものです。外国特派員向けのスピーチでは原稿、メモなしに英語できちんと研究の経緯を述べ、仲間研究者の功績を称えることを忘れませんでした。「癒し系といわれるが?」の質問には、「Of course I would like to say,… I hope I were single. (独り者であったら)I don't know why that kind of mood, it is difficult to explain even in Japanese … そっとしておいてほしい」。最後だけ日本語で、それを通訳が For God sake leave me alone! と訳しました[4]。
小柴さんについてはカミオカンデでの発見は既に有名でノーベル賞は時間の問題といわれていた人ですから受賞にそれほど意外性はありません。ただ、小柴さんの東大卒業時は優が2つだけ。有名な物理学者、武谷三男さんは東大嫌いだったが小柴さんを学校の成績がよくなかったという理由で認めてくれたという記事は面白かった。武谷さんはいわゆる秀才が嫌いだったのでしょう。
さて筆者は、受賞した小柴さん、田中さんの業績は立派ながら、同時に小柴さんの研究に多額の予算をつけてくれた国や、変わり者の田中さんに研究をつづけさせた島津製作所もえらいと思うのです(田中さんは会社と同僚に繰り返し感謝しています)。これはやはり日本の国力、企業の文化を示すものだと胸を張ってよいでしょう。残念ながら島津は発見を大きなビジネスにつなげられませんでしたが。推測するに、経営トップは研究を理解していなかったのでしょう。金食い虫だ、やめろ止めろの声もあったでしょう。もう少しやらせてみようというトップもいて消極的サポートながら研究がつづけられたのではないかと思います。企業内での画期的な発明、発見、開発の多くはこのような経緯で日の目を見たのです。オーソライズされた研究の合間に、研究者個人が永年暖め、ひそかに実験してきたアングラ研究がモノになる場合もあります。アングラ研究に必要なお金は他のテーマの研究費から流用して。研究のボスが片目をつぶって、見てみぬふりをすることも。米国ではテーマごとにどこかから研究費を取ってこなくてはなりません。研究期間が限られているので、研究費を申請する以前に、そのテーマについてかなり研究を進めておき、研究の目途がついてから研究費を申請、それで得た予算は次のテーマの研究に当てる、と読んだことがあります。費用の使途をあまり細かく監視するのは、角をためて牛を殺すことになりかねません。
経済のグローバル化で工場がどんどん海外に移転するだけでなく、研究開発部門も海外に設ける動きが広がり、日本の空洞化がさらにすすむのではと心配されています。ここにきて、日本が競争力を取り戻すには研究開発を強化するしかないという機運が急に高まってきました。このほど、企業の研究開発・投資減税を1兆円にも拡大するという税制改正の答申が出ました。これは今回改正の目玉の由。ところで、鳴り物入りで研究開発を奨励して、すぐに成果が出るものか。むやみにお金をつぎ込むのは考えものです。まず多くの人がタネを蒔いてくれること。シーズかニーズかの議論があるが、どちらもタネ(目の付けどころ)といいたい。蒔かれたタネが全部芽を出すとはかぎりません。たくさんのタネから芽が出て育ってほしいがどうすればよいでしょうか。自身もノーベル賞候補とされる外村さんが的確にいっています[5]。
「基本は、国民が独創性を強く望み、尊敬し、そのための環境を整えることである。 思わぬ発見は予測できず、初めからすんなり認められるはずはない。努力も期間も要して達成したであろう独創的な研究成果や、こんなことに一生をかけた人を、せめて社会が高く評価してくれたら、若者も思い切って終蓄点の見えない目標にも挑戦してみようという気になるのではないか。
研究予算の配分では、芽の出そうな所に適量の水を与えることが基本原則。芽が出るはずもない所や、まだ芽が小さいのに、すぐ成果を期待して水をたくさん与えても無駄だ。根が腐ってしまう。出かかった芽の将来性を見極め、よいものを選んで適量の水を与えて育てることだ。
研究の評価者が重要。西欧のまねをしてきた人は、欧米に先例のある間違いのない研究に投資したがる。だが、独創的な研究は先例がないからこそ、やる価値がある。先を見ることのできる人に予昇配分の権限と責任を与え、うまくいったら評価した人をも十分に評価すること」。筆者もかつて、双葉を出すまではタネの力、肥料をやって育てるのは双葉が出てから、と若い人にアイディアを暖めるよう話したものです。外村さんは、運に恵まれず失敗した人や、競り合った結果2番手になった人も評価する環境、また独創的な研究をいち早く評価した人も評価する環境を作りたいと訴えています。田中さんは28歳のときの研究で海外に認められましたが、「日本では評価されなかった。43歳の今、これからは若い人の研究を発掘、育成する仕事をしたい」と控えめにいっています。
いまは世界的にIT不況の真っ只中ですが、いずれ安定成長路線に戻るはずです(バブル再来はないが)。しかしそうなっても日本のエレクトロニクスやプリント板業界がかつての活況を取り戻せるかどうかは分かりません。既存の技術で中国とのコスト競争に勝つことは至難、とほとんどの人が感じています。
世界に先がけ、一歩先の製品を、今までにない要素技術を生み出していくしかないと多くの人がいいます。しかし誰がそれをやるのか。何がそれを阻害しているのか。前日本TI会長、生駒先生は手きびしい。「もともと日本の科学技術は世界的に見ても高い水準にある。企業の技術力もある。悪いのは経営者だ...」。それもあります、しかし他国に比べ、理科嫌い、技術はダサい、面倒、したがって敬遠したいと思う日本人が多いのが一番問題と筆者は思います。外村さんが「独創性を望み、尊敬するような環境を!」と強調しているのはこのことでしょう。田中さんは学者にはならない、学位もとらない、生涯、一エンジニアでありたい、といっています。選ばれた一人を、癒しを求める女性の「作業服姿が見てみたい」対象にするだけでなく、多くの日本人が作業服姿のエンジニアもかっこいいと思うような社会になることが、今後、日本が活力を取り戻す鍵になるのではないでしょうか。
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| [1] | 「田中耕一さん新『癒やし系』」(週刊朝日02/11/8) |
| [2] | 「田中さん、いい人オーラで大人気」(AERA2002/11/4) |
| [3] | 田中耕一「私のノーベル賞仰天日記」(文芸春秋02/12号) |
| [4] | 「田中耕一さんの英語力」(AERA2002/11/4)(AERA 02/11/18) |
| [5] | 外村 彰「独創性、評価する環境を」(朝日02/10/11) |

「癒しの風景と畏敬の対象」