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「人生のアルバム」

 2、3才の男の子はみな電車やクルマが大好きです。乗り物の絵本を何冊も持っていて、字も読めないのにページをめくるなり瞬時に列車名を当てたりします。サルや犬は機械にはほとんど興味を示さないのに、と不思議に思っていたら、思い当たりました。生まれたての赤ん坊がおもちゃのガラガラを目で追います。動物は「動くもの」に意識が集中するのです。これは危険な捕食者から逃げるためにも、獲物を捕らえるためにも大事な本能なのです。視覚細胞にも動きをとらえる細胞があるらしい。子どもや若い人ほど早く動くものに惹かれるようです。ゲームでも車でもスポーツでも。

 ある年、幼児をつれて新幹線に乗り込み、荷物を棚に上げていると、幼児が突然「あっ、新幹線だ」と大きな声をあげて、まわりの乗客の笑いをさそいました。反対側のホームに入ってきた別の新幹線が目に入ったのです。幼児には自分が新幹線の車内にいる感覚は全くありません。離れて見てこそ新幹線なのです。筆者の散歩コースのひとつに川の土手があります。日によって右岸を歩いたり左岸を歩いたりしますが、右岸を歩くと左岸の景色がよく見え、左岸を歩くと右岸を歩く人が楽しそうに見える。こんな経験に思い当たる人も多いでしょう。誰でも景色の中に自分を置くことは難しいようです。「隣の芝生はきれいにみえる」とはうまいことを言ったものです。

 気ままな学生時代を終えた若者がどこかの会社に入り、仕事を与えられます。まずは地味な仕事から。現場で毎日機械に向き合う人、売り込みに足を棒にする人、苦情処理に明け暮れる人、先の見えない開発をやらされる人。家の手伝いもやったことのない若者が、毎日が苦労や悩みの職場にいきなり放り込まれれば、こんなにきびしいとは思わなかった、他にもっといい仕事、面白い仕事があるのでは、と思ってもおかしくありません。はじめから面白い仕事、働きがいを感じる仕事などあるわけないのですが。以下は戦後間もない頃、定時制高校を出て仕事についた澤地久枝さんのコラム「初出勤の日のこと」の一部。

 「十八歳のこの日、二つに分けた髪を三つ編みにし、化粧っけなしだったのは確かだが、どんな服装だったかは忘れた。夜は定時制高校の最終学年に通い、翌年大学の夜間部を受けようとしていたから、セーラー服だったかも知れない・・・

 第一日のつとめを終え、都電を乗りついで青山四丁目でおりる。まだ一面の焼け野原で、防空壕を利用した壕舎住いがあり、焼けトタンのゆがんだバラックがひしめいている。わが家はそういうバラックの一つであった。

 家近くの四つ角に思いがけず私を待つ母の姿があった。初出勤さきでの一日、どんな体験をしたのか、どんな思いを味わって帰ってくるのか。案じている母の表情だった・・・

 あの日から今日まで、働くことが辛いと誰にも言ったことはない。母の憂い顔に「ただいま」と元気で言ったとき、生きること、働くことを本能的に会得したと思う。

 働いておカネを得ることがわが家にとって不可欠と知りながら、やめたいと思つて丸ビルの階段で泣いたことがある。やめられるわけはなかった・・・

 誰もが通った道であることを考えてほしいと思う。楽をして収入を得る道など本来あり得ない。程度の差こそあっても、みんなどこかで口惜し涙をのみ、たとえ理がこちらにあっても反論を許さない不条理とぶつかりながら生きぬいてゆくのだ。

 しかし、いやなことだけがあるのではない。まともに仕事をしている人間を黙って見守っている人はかならずある。そういう人物のいない職場の前途は多難であろう。

 温かい言葉、ねぎらいの笑顔に救われる新入社員のあることを、受けいれ側の人たちに伝えたいと思う。私のささやかな言葉の贈り物は、ハキハキと返事をし、相手の眼を見てものを言う習慣。自分から仕事をみつけだし骨惜しみせぬこと・・・その努力はいつか自分にかえってくる。」[1]

 これは澤地さんの新人へのはなむけの言葉です。澤地さんは「五年間、一所懸命つとめ、創意を働かせもした」。その後、仕事を変わり、やがてれっきとした作家になっていきます。しかし努力すれば誰もが成功するわけではない。新入社員と変わらない仕事をずっとつづける人のほうが多いのです。

 目立つことなく、こつこつ働いてきた人が、ある日ふと、自分の半生をふりかえるとします。いろいろな思いが去来するでしょう。運よく仕事がうまくいったこともあった。自分に自信が持てたとき、得意の場面もたまにはあった。家族や友人との満ち足りたひとときもあった。仕事に追われ、ストレスに悩まされた日々の方が長かったとは思いますが。つらかったことも年月がたつと、みななつかしい若い日の思い出になる。それらのシーンが積み重なってそのひとの半生のアルバムができあがります。アルバムには幼い頃の思い出や、かつて住んだ土地の情景もたくさん貼られているでしょう。それをながめ「思えば遠くへきたもんだ」と感慨を持って過去を肯定的に振り返ることができれば、まずは幸せな人生であったといえるでしょう。それをまとめて自分史として自費出版する人も増えています。

 ただし、このアルバムはその人だけのもの。貼られた写真は当人を座標原点にして眺めた景色です。人はどんどん仕事を変え、住む場所を変え、仲間もかえて自分の人生を生きていくので、それにつれ座標原点は動いていき、まわりの景色の見え方も変わります。風景の中を汽車が走るのではなく、車窓の外を景色が流れる。それがその人の人生のアルバムです。

 個人のしあわせ感覚は人それぞれ、各人の動く座標からの見え方であって、はたから静止座標に立って見る絶対的な幸、不幸ではないということです。新聞はある基準をもって人や企業の失敗、挫折、誤算、不幸を書き立てます。日本でも戦後50年、考えられなかったようなドラスティックなリストラや再編が進んでおり、電機業界でも歴史のある有名企業が姿を消したり、事業を閉鎖したり売ったりしています。選択と集中、その戦略は避けられない流れでしょう。経営、戦略のミスと組合が言うのはわかりますが、修羅場をしらないマスコミが言い立てるのには腹が立ちます。それはそれとしてこれまで働いてきた人たちは今後どうして生活していくのか、またリストラ対象となった部門はどうなるのか、製品は、品質は、研究開発はどうなっていくのか、それが気がかりです。

 世界的な銅張積層板メーカー「イゾラ(Isola)社」が売却されると聞いておどろきました。海外の銅張積層板メーカーは昔から離合集散がはげしく、かつてのブランドはおおかた姿を消しました。IsolaもAtlantic Laminate, Oak Industries, Norplex, AlliedSignal, Westing House, MAS Italy など有名なブランドの集まりで、昔の社名に記憶のある読者も多いでしょう。Isolaの親会社はBakeliteも売るという(住友ベークライトはフェノール樹脂"Bakelite"を生産する会社として発足した)。

 Isolaの責任者は「われわれは顧客の信頼できるパートナーとしてこの仕事をつづける。戦略の変更はないはず(no change is to be expected)」といっていますが、親会社が変わると、操業だけでなく、技術、開発や品質はどうなるのか。働いていた技術者たちはどこへ行くのでしょうか。ニュースを教えてくれた友人は「優秀な経営者を連れてきて建て直しを図るのでしょうか。ブランド力も技術力もあるし、世界中に工場と販売ネットワークもあるのですから。彼らはこんなことには慣れっこですから、日本の感覚とはちよっと違いますネ」というのですが。

 製品も、品質も、研究開発も結局、組織より個人ということなのでしょう。組織がどこに売られようと、シャッポが変わろうと、組織を支える部門、製造現場、営業、開発のどこの個人にも活気があり元気に働ければ組織は大丈夫ということです。最近、大学や病院の評価がはやりですが、あるひとが言っています「いい大学、いい病院などというものはない。いい先生、いい医者はどの大学、病院にもいる。また、どこにも程度の悪いのはいる」と。社名やボスが替わり、仕事が変わってもよろしい。しかし働く人たちそれぞれが人生のアルバムを肯定的に振り返られるような職場、社会であって欲しいと思います。

[1]澤地久枝「初出勤の日のこと」(朝日03/3/31)

「それぞれの人生、ながれる景色。」

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