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JPCA NEWS 2003.11 JPCA Home / Back / Menu / 前号 / 次号 「二つの時間」 |
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あるとき小学1年生に「学校でなんの時間が好き?」と訊いたら、大きな声で「やすみ時間」との返事。算数とか国語とか好きな授業を訊くつもりだったので思わず笑ってしまいました。授業がおもしろくなくても、休み時間が楽しみで毎日学校に通ってくれればそれもよしか、と。 NHK番組「お江戸でござる」の杉浦日向子さんによると、江戸時代の時間は夏と冬で違ったそうです。明け六ツは夜明け30分前、暮れ六ツは日が沈む30分前とし、これを昼間6つ、夜間6つに区切って、一ツ(一とき)とする。従って、昼夜の「1とき」が季節によって変わるというのです。調べてみると、昼間の「1とき」は夏至の日には2時間40分、冬至の日には1時間50分と大きく違う。明け六ツは、明るい星がぱらぱら見え、手のひらの内で細い筋は見えないが、太い筋が3筋ほど見えるとき、とあります。「明るい時は昼、暗い時は夜」という自然の感覚そのままの時刻制度ですが、社会の活動によく混乱が生じなかったものです。庶民の時間に対する考え方もルーズで、待ち合わせを「何とき」と約束しても、「1とき」は2時間、その間ならOKとのこと。なお、時間の最小単位は「四半時」すなわち30分でした。 江戸時代の人は動作もゆっくりしていたようです。明治初年に来日したモース(大森貝塚を発見した博物学者)は強い印象を受けましいた。「...東京市中でも、道を行く人びともいまからすればややぼんやりしていたようで、新たに発明された人力車や乗合馬車をよけるすべを知らないように思われる、とモースは記している。《反射運動というようなものは見られず、我々が即座に飛びのくような場合にも、彼等はぼんやりした形でのろのろと横に寄る。日本人はこんなことにかけては誠に遅い》と言うのだから、動作の微妙で精確な制御が要求される現代の日本人とは様子がずいぶんちがっていて、当時の民衆には街頭にあってもなお放心や夢想の状態がゆるされていたのであろう。」[1]。日々、せかせかと分単位で追われ、10分遅刻しても小さくなっていなければならない現代の日本人にはうらやましいユックリズムであったようです。 現代日本の都会のリズムは、多分、人間の動物としてのリズムに比べて速すぎるのでしょう。なかでもサラリーマンや塾に通う子供が追い立てられています。生理的なリズムが、要求されるスピード合わなければストレスもたまるのでしょう。もっとも都会に生活する人全部が忙しいわけではなさそうです。昼下がりの人もまばらな商店街、レストランや催し物の行列に何時間もならぶ女性、地べたに何するでもなく座りこむ若者などを見ると、そこでは時間がずっとゆっくり流れているように思えます。 世界的にみても日本の働き蜂は時間に追われているようです。俳優の天本さんが書いています。 「スペインでは、人間が何よりも一番上に在る。つまり、規則や信号や約束やスケジュール・プログラムよりも、人間が上に在るのだ。時間も勿論例外ではなく、時間さえも人間に支配されるのだ。 以前、東京にずっと住んでいた友人の画家サルバドールに私は質問したことがある、 「サルバドール、スペイン人の時間の約束というのは、どういうものだ?」、『アマモー卜さん、例えば有欒町駅で一時に会いましょうと約束すると、スペイン人は一時に家を出るのです....』 従って有欒町駅に着くのは一時半か二時頃になるというわけである。スペイン人は時間さえも自分で創り出すのである!時間も人間が創ったものに違いないが、日本人なんかは、自分が創ったその時間にキリキリ舞いさせられているのだ....」[2]。 スペインにはまだ江戸時代の時間が流れているようです。日本にももう少しゆったりした時間がほしい。しかし、夏冬で時間の長さが違う社会に戻れるわけはありません。江戸時代でもサムライの世界は、幕府登城時刻4ツ(今の10時)など、きっかりの時刻で動いていたし、天文学者は別の時間(定時法)を使っていました(注)。 先日、国立科学博物館に「江戸時代のものづくり」展を見に行きました。時計やからくり、遠めがね、平賀源内のエレキテル(起電機)などたくさんのものが展示されていました。人体解剖の図や魚、植物の精密な写生や和算書もあります。体系的な学問に発展しそうな芽が見当たらないのがちょっと残念ですが。源内はエレキテルを電気治療器として作って儲けたというが、それで実験や測定をやれば電磁気学の何かを発見できたかもしれないのに。 展示の中では伊能忠敬の日本地図がやはり圧巻です。この時代、世界的に地図の要求が高まり、フランスでは測量一家が4代、100年以上かけて全土を測量し、1793年に地図を完成させました。イギリスで全国的な測量がスタートしたのが1791年。忠敬は1800年から17年かけて日本地図を作成したのです。鎖国の日本で西欧にほとんど遅れずこれを成し遂げたのはすごいことです。測量技術と道具はオランダからの輸入ですが。伊能図はたいへん正確な地図ですが、東西方向の誤差が少し大きいといわれます。忠敬は、日中は測量、夜は天測(天体観測)により測量データの補正を行いました。南北方向(緯度)は北極星の高度を測って確認できます。東西方向(経度)の確認には星や月の高度のほか天測した時刻も測る必要がありますが、それに使う時計の精度が不十分だった。 今、時計の精度は飛躍的に上がりました。産業技術総合研究所は、誤差が2000万年で1秒以内のセシウム原子時計を開発したそうです[3]。これは想像も及ばない高精度ですが、私たちが持ち歩くクオーツ時計も200年前の伊能忠敬にとっては腰をぬかすばかりの高精度、垂涎の品のはずです。時計屋さんのHPによれば、クオーツの精度は「特別表示が無い限り月差±15秒以内。運が良ければ1ヶ月に2,3秒しか狂わない」とのこと。誤差を自動補正する電波時計も店頭には2000円以下の製品もならんでいる。 いまや時計の精度はあたりまえ、価値はデザイン、ファッションに移っているようです。精度的に劣る機械式時計の人気も復活しています。時計の遅れさえ温かみ、癒しになるとされるようになりました。しかし筆者は、200年あまり前に時計の精度の向上に生涯をかけた先人たちの努力を忘れてはならないと思うのです。 大航海時代、船が居場所を見失って遭難する例が続出しました。1707年、イギリス艦隊5隻中の4隻が、提督の判断ミスで座礁、2000名が海に沈みました。経度を正確に知る方法がなかったからです。イギリス議会は1714年、「経度法」を制定、「海上で経度を確定する手段を見つけた者には、国王の身代金に相当する賞金2万ポンド(現在の価値で数百万ドル)を与えることにしました。1等賞の条件は、経度誤差1/2°以内の精度で経度を決定する方法で、時計の精度に直すと、イギリスからカリブ海までの航海6週間に誤差は最大2分(1日あたり3秒)となります。経度誤差1/2°は赤道上で56kmに相当し、現在のGPSに比べるとあまりに大きな測定誤差ですが、それだけ問題が難しかったのでしょう。ニュートンは「機械式の時計でこれを実現できる可能性は低い」と書き送っているそうです。 時計職人ハリソンは40年間それに挑戦し、1770年、10週間のテストで、1日0.3秒の誤差を実現、やっと賞金を手にすることができました。一方、天測で時刻を測る研究もすすめられ、高い精度で経度を測れるようになったのですが、そのためには厖大な天体観測のデータの集積が必要でした。最初にアイディアを出したガリレオは木星の衛星の観察を目がみえなくなるまで続けたそうです。別の天文学者は月の観測を何十年もつづけました。提案を審査する「経度委員会」は100年以上もつづきます。筆者が感心するのはその息の長さ、持久力です。 私たちは、時計に限らず、日々利用している技術が当たり前のものと思ってしまうとそこから先の発展がありません。技術におどろき、その開発にほとんど生涯をかけた先人の歴史を振り返ることも、次なる発展につながるのではないでしょうか。 その一方、世の中が年々せわしなくなっても、ひとのリズムは何万年も変わっていない。仕事にはクオーツ時計を使っても、アフターファイブは時計をはずし、新聞は読まない、テレビも見ない、お寺の鐘を合図に寝るという江戸時代の生活を試みてはどうでしょうか。 |
| [1] | 野村雅一「しぐさの世界」(NHKブックスH58) |
| [2] | 天本英世「スペイン人と時間」(30 Blancpain Essays, 青木書店2001) |
| [3] | HP(BizTech 2003/5/30) |
| 注. | 暦学では1日を100等分し,それを刻とし,その100分割か10分割を分としていた。 |
