JPCA NEWS 2004.1

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「すり合わせ型」のプリント板製造

 灯油を買いに近くのホームセンターに行きました。値段も安いし給油をやってくれるので。ところが店員は給油が終わってもポリ容器のふたを閉めない。ふたは自分で閉めてくれといいます。どうやら、ふたの閉め方が悪くて灯油のこぼれたなどの苦情があるため、それを予防する狙いのようです。

 別の日にポリ容器4つ持って今度はセルフのガソリンスタンドに行きました。そこでの体験。缶のふたが入れ替わると閉まり方が微妙に違うのです。ふたをいろいろ入れ替えてなんとか全部ふたをすることができました。見たところは同じ形、多分同じ規格のポリ容器なのに合わない。ペットボトルのふたはすごい。昔の水筒はたいてい水もれしたものですがこんな安い容器なのにきちんと締まるもれない。栓の受けとふたはセットにして容器メーカーに納入されているのでしょう。単価は数円か。筆者は省資源の一番はリユースと考えているので、ペットボトルはたいてい持ち帰えり、水やお茶を入れて使っています。ボトルの数が増えるとときどきふたが入れ替わります。するとやっぱり締まりの悪いのがでてくる。推測するに、同じメーカーの栓の受けとふたはよく合っているが、別のメーカーの製品とは微妙に違っているのでしょう。メーカー間の「すり合わせ」が足りないのです。

 以下は、「ものづくり」研究で有名な東大藤本先生の持論です。「私はモノづくりには大きく分けてふたつの種類があると考えています。部品間の結合が標準化され、既存部品を組み合わせれば多様な製品ができる『モジュラー(組み合わせ)型』と部品の設計を相互調整し、製品ごとに最適な設計をしないと高い性能が出せない『擦り合わせ型』です。

 ラジカセやパソコンなどはモジユラー型製品で、擦り合わせ型の典型が自動車といえるでしょう。戦後、日本はヒト、モノ、カネが乏しい時代が続きました。そうした制約の中で企業はいい社員を終身雇用制で囲い込み、いい部品をつくれる下請け企業は系列化しました。それは乏しいゆえの戦略だったのです。

 それが結果的に日本の製造業を世界で最も『擦り合わせ型』に向くようにしたのです。部品の相互調整、複雑な統合は、息の合った長期的な関係でなければできない。『組織は製品に似る』といいますが、こうした生産が得意となる中で日本企業も『擦り合わせ型』の組織風土を一段と強めたのでしょう...

 ITは標準化された部品を組み合わせることで多様な製品をつくる「モジュラー型」産業です。米国はもともと移民社会でお互いのインターフェース(接点)を標準化しなければ、意思疎通ができません。組織も業務内容が標準化、規格化されたポストを人がどんどん入れ替わり、流動します。社会の成り立ちがモジュラー的であるからこそ、IT産業で米国はすごい力を発揮したのです。

 日本は、標準化せず、最適設計された部品を精妙に統合していく「擦り合わせ型」ですから、モジュラー化、デジタル化では後れを取りました。

 ですが、二十一世紀のモノづくりを考えると、少なくとも前半の50年間は「モジュラー型」と「擦り合わせ型」の共存が続くと思います。モジュラー型が適した製品分野では最高のものを学んで採り入れる一方、「擦り合わせ型」を磨いていく必要もあります。日本がただ米国のまねをすれば「出来損ないの米国」が生まれるだけです...。」[1]。

 藤本先生は別のところで中国のものづくりについて次のように言っています。「1990年代に発展した中国の機械産業、例えばテレビ、白物家電(冷蔵庫、洗濯機、エアコンなど生活必需品的な家電製品)、オートバイ、小型トラックなどの産業をみると、共通の流れがみえる。すなわち、(1) まず外国製品のコピーに始まり、(2) そうしたコピー部品が事実上の汎用部品となり、(3) そうした汎用部品を使った組立や改造を行う多数の中国企業が簇生(そうせい)し、(4) 市場の急拡大にもかかわらず激しい競争により供給過剰と収益性の悪化を招く、といったプロセスである。日本企業は、こうした流れのなかで、誰に負けているのか分からないよぅな状態で、中国での事業が不振に陥る可能性がある。

 その背景にあるのは、アーキテクチャの換骨奪胎とでも呼べるような、中国産業でしばしばみられるパターンである。すなわち、家電やオートバイなど、日本企業が得意としてきた「擦り合わせ製品」を、イミテーションと改造の繰り返しによって、いつの間にか汎用部品(実はコピー・改造部品)の寄せ集めに近い、ある種の「疑似オープン・モジュラー製品」に変えてしまう、というプロセスが、中国ではよく観察される。表面上はイミテーション製品の横行と政府によるその事実上の追認、あるいは知的財産権の軽視といった問題点が指摘されているが、その深層にある、こうした「アーキテクチャの転換能力」こそが、勃興しつつある中国製造業を考える上での一つのポイントである。」[2]。

 筆者は、全体として見ればIT産業は「モジュラー型」でも細部では少し違うと思います。「モジュラー型」なのは独立した部品を組み合わせる段階であって、それぞれの部品をつくる段階は「すり合わせ型」でないとまともなものは作れません。部品を実装したプリント板(アセンブリ)は単体でも取引される独立した部品といえます。しかし、そこにいたる、ガラスクロス→銅箔→銅張積層板→プリント板→部品実装の間は規格や契約だけでは規定できない、境界線の引けない「すり合わせ部分」、ペットボトルの栓のふたと受けの関係で結ばれています。段階のいたるところに潜在的な品質課題が存在し、高密度実装、ファイン化の過程でそのような見えない課題が増えています。品質項目によっては製造した企業での品質保証では確認することができず、納入先の工程に入ってはじめて確認されるものもあります。まして新しい実装方法の導入では多くのリスクがあり、問題が発生したとき、「どこの責任」と特定できず、一蓮托生、乗り合わせた全員が被害をかぶるという事態にもなるでしょう。実装の高密度化、ファイン化は日本が先頭を走ってきましたが、それを可能にしたのは「すり合わせ型」の協調体制であったのです。

 昨今、どの分野でも、契約違反だ、医療ミスだ、損害賠償だ、訴訟だ、と言い立てる風潮が広がっています。あたかもそれが進んだ処世スタイルであるかのように。

 プリント板の業界でも損害賠償や訴訟のケースが増えているようです。プリント板製造過程にはいたるところに不良の発生要因があります。納入先でないと発見できない潜在不良もあります。不良はなくしていかなければなりませんがそれをどうやって実行するか。筆者はメーカー、ユーザー一体になって努力する「すり合わせ型」の解決しかない、と考えます。事故が発生した場合、メーカー、ユーザー双方に多少覚え(懸念、心配)がある場合が多い。実際、プリント板のスルーホール周りの欠陥やパッドの密着不良は永遠の課題であり、材料、製造条件、はんだ付け条件の「すり合わせ」でやっと乗りこなしてきたじゃじゃ馬なのです。お互い「実は...」「実は...」で話し合えば改善の糸口が見出せるものが、損害賠償だ、訴訟だと一方がふりかざせば、他方はそれに抵抗してかたくなになり、勝った、負けたを第三者に決めてもらうのでは、別れるのならともかく、今後とも付き合っていくには苦い思いを残すことになるでしょう。

 ノーベル文学賞の大江健三郎は障害者の子供をかかえています。以下は大江さんの講演の抜粋です。「あまり摂生しない人間なものですから、とうとう痛風になってしまいました。足が赤く腫れ上がって、もう痛くて、一週間ほど居間の長椅子に寝そべって、動くことができなかった。そうしましたら、子供が喜びました。かれは興奮しましてね、大きい獲物を打ち倒した若い猟師のような感じですよ。私の傍をドンドンドンドン駆けまわって、喜んでいます。私に何かしてやろうとします。水を飲ましたり、辞書をとってくれたりします。あまり楽しんでいるうちに転んで私の足の上に倒れる。私は絶叫する。すると、あまりおもしろいものですから、もう一度、こちらのスキを狙って倒れる。...そのうち私の痛風が治ってくると、またかれは静かな人間に戻って、私のまわりを熱狂して走りまわるということはなくなったのです。もしかしたらあのとき、かれは自分と父親の関係が逆転したと思っていたのじゃないか? 

 家庭のなかに上下関係があるということ。父親からの力のヴェクトルが子供たちに向かっている。そして子供たちは親たちに向かって立っており、上に向かうヴェクトルを持っている。それでカウンター・バランスを達成する。緊密な家庭というものは、親の圧力と子供のカウンター・バランスが均衡している状態です。しばしば愛によって緊密な家庭と見える。

 しかし下からのヴェクトルが強くなって、上からのヴェクトルを打ち倒せば、関係は逆転して、子供たちが上からの圧政者の矢印になり、年老いた親たちが下から上に向かう矢印となる。

 置き換えるべき新しいモデルは、父親と子供たちが同じ方向のヴェクトルを持てばいいだろうと思います。親が子供に向かうというのではなくて、子供が親に向かうというのでもなくて、親と子供が同じ方向を見ればいいだろうと思うのです」[3]。

 また日野原重明さんはいっています。「お母さんたちにお願いしたこと。子どもたちが「なぜ」、「どうして」と聞いてきたとき忙しくても、「先生に聞きなさい」と言わないで、一緒に調べたり考えたりしてあげてはしい。登山では、ザイルにつながって、目自が同じ方向、頂上に向かって、いる。これが大切なんです」[4]。

 問題が起こったとき、お互いのベクトルを相手側に向けるのではなく、同じ方向に向けて問題の解決に当たってほしいと願っています。

[1]藤本隆宏「モノづくり一直線」(日経03/4/21〜)
[2]藤本隆宏「能力構築競争」(中公新書2003)
[3]大江健三郎「あいまいな日本の私」((岩波新書2003)
[4]日野原重明、養老孟司「わかるのは関心事だけ」(03/8/1朝日)

個々の漕手の意志、体力、技量と全員のリズムにのったユニフォーミティがあってこそ艇は滑らかに進む

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