JPCA NEWS 2004.3

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輸送コスト、収穫逓増とプリント配線板

 あるプリント板関係者の集まりで、また中国が話題になりました。「仕事は忙しくなったが、もうからない。量産ものが中国に移ってしまって、日本は今後何をつくればいいのか。」と。いま、日本の電子機器メーカーはディジタル家電を中心に活況を呈しています。この分野の商品開発力では日本は中国、韓国、台湾のかなり先を走っているでしょう。しかし、これら機器に使用するプリント板について、日本企業は海外メーカに対しどの程度の競争力をもっているでしょうか。

 従来と同じものをつくっていては競争できない。新規分野を開拓するか、海外メーカで作れない(やりたがらない)高難度、多品種少量の製品を作っていくしかない、とマスコミは繰り返します。その通りでしょう。そして、未知の分野、先端技術や新しいビジネスモデルに果敢に挑戦し、それに成功する天才的な発明家や起業家が必ずや現れてくると信じています。最近のショーでも、日本企業の営々たる技術開発の努力を目にして、熱いものを感じました(それを求めて海外からの見学者も多い)。その一方で、トップレベルのプリント板企業からさえ、新規開発品、多品種少量品だけでは工場が埋まらない、従業員を食わせられない、という声が聞こえてきます。

 先月紹介した中国の経済学者ファン・ガンはいっています。「中国は科学技術センターになるべきだと異議を唱える人がいる。しかし、たとえ中国が科学技術センターになったとしても、同時に製造センターでなければならない。そうでなければ、数億人の農民は都市に移って何をすればよいのだろう。農民の仕事はエンジニアではなく、やはり製造業である」。日本人だれもがエンジニアになったり、日本企業がすべて世界の先端を行くハイテク企業になれるはずはありません。グローバル化の時代に、日本の農業、八百屋、散髪屋、街の食堂、そして普通のプリント板メーカーが生き残っていくすべはあるのか。中国が、ブラックホールのように何もかも飲み込んでしまうのではないか、と不安を覚える人は多いでしょう。

 一人当たりGDPで10倍以上の開きのある日中が、同じ土俵で競争して、一定の均衡状態を保つことは可能なのか、それともシーソーのように、どちらか一方に傾いてしまうのか、と筆者はかねて疑問をいだいていました。マスコミでは企業の変革、個々人の意識改革を繰り返し求めていますが、このような努力が大事なことを認めたうえで、それだけでは押しとどめられない大きな力、時代の流れがあるのではなかろうか。どんな力がはたらいて、その行く末はどうなるのか、こんな疑問に対する納得できる説明はこれまであまり目にしませんでした。最近読んだ「空間経済学」[1]という本は、日米英3人の気鋭の経済学者によるシミュレーションにもとづく議論ですが、なるほどと思うところが多かったので一部を紹介します。精緻なモデルと数式の多い本で、筆者の誤解もあるでしょうが自分なりの解釈に若干私見を加えています。

  まず、次のようなモデルを考えます。

2国間でモノ、カネ、技術の移動は自由、しかし人の移動は制限されている。
両国とも2つ以上のモノを生産、消費する(農産品、工業製品、中間品)。
自国で調達できないものは他国から輸送する。
モノの輸送には「輸送コスト」がかかる。
輸送コストは距離に依存するが、国境を越える時はそれ以外にさまざまなコスト(関税、輸入割当、言語、基準のちがい)がかかり、それを距離に換算するとある例では1700kmにも相当するといいます。
モノの生産には「収穫逓増」が働く。
規模が拡大するにつれて製造コストが下がることをいいます。通常、経済学の入門では、生産量が大きくなっていくと生産効率が下がる「収穫逓減」を教えられますが、収穫逓増はその反対で、大きいもの、強いものがより強くなるという効果です。例としてよくマイクロソフト社があげられますが、東京の一極集中もその効果ではないかと思います。

 

 このような仮定をおいて、さまざまなシミュレーションが行われています。その1例を図に示します。

 

 

 この議論のおもしろいのは、時代につれてすすむ経済構造の変化を「輸送コスト」の変化で説明していることです。輸送コストは輸送技術、インフラの発達、規制の緩和、通信、コミュニケーション手段の進歩により、遠い昔から一貫して下がってきました。古くは各地域がそれぞれ自給自足の経済を営んでいました(図1のA点)。地域の単位は、古代は集落、江戸時代なら藩、戦前なら国でしょうか。地域間の交易は少なく、あっても高い輸送コストが問題にならない宝石や絹、ぜいたく品に限られていました。時代がくだって輸送コストがC点まで下がってくると、自前で作るより買ったほうが安くて品質も良いとなり、地域間の分業が始まる。収穫逓増効果が働くために分業は一気にすすむ(C点→C’点)。

 その結果はどうか。第1国(工業国)の賃金は急上昇し、第2国(農業国)は貧困化する。さらに輸送コストが下がってくると、第1国の賃金は上昇をつづけるが、第2国は貧困状態がつづく。すると賃金格差は拡大するし、輸送コストは下がるため、第1国から第2国への工業生産の移転が始まり、ある程度の規模になると、収穫逓増効果によって第2国の生産は急拡大する。このステージでは賃金は第2国で急上昇、第1国では減少に向かう。最終的に輸送コストゼロ(輸送費もその他障壁もゼロのD点)に到達すると、両国で賃金も材料、製品価格も同じになる、というストーリーです。このAからDまでのパターンはパラメータのとり方によって大きく変わりますが、本書では全過程をひとつのモデルで説明しているのがすごいと思います。何の政策も戦略も関与しなくてもこうなるというのです。このようなモデルは国際競争だけでなく、国内の地域格差の問題にも適用できるのではないでしょうか。日本でもかつて交通が不便、輸送コストが高い時代はどの地域も独自の文化と経済を持っていたのが、便利になるとかえって東京一極集中がすすみ、地方が衰退したのは、政策や関係者の知恵、ヤル気の差だけではないのでしょう。政策や知恵はこのような時代の流れによる格差拡大を緩和する方向に向けられなければなりません。

 本書では、複数の発展途上国がある場合、それぞれの発展パターンはどうなるかのシミュレーションも行っています。その結果から、各国の経済発展は同時的にすすむのではなく、一国が発展を遂げてからもうひとつの国が発展する形になるといっています。中国が発展を遂げてからインドが発展を加速するということでしょうか。また海外移転する業種については、収穫逓増効果の小さい業種から、つまり、同業者、関連業界の集積による相乗効果の小さい業種からとしています。これも納得できる結論です。

 筆者が重要と思う結論は、国境がある限り輸送コストはゼロにならない。どんなに交流がすすんでも消費者の近くには需要があり、お客のニーズに応えるには近くの店がもっとも有利ということです。

 最近、生産の海外移転がさらに進む一方で、海外に移した生産を国内に戻す「国内回帰」ケースも報じられています。先日のNHKでは、ケンウッド(音響機器)と東芝(ディジタル家電用システムLSI)の国内回帰の例が紹介されていました。ケンウッドの場合、製品の需要予測が難しく、売れ残りのリスクが大きい、輸送コストがかかる、などの理由から、生産を国内に戻し、注文に応じて短納期生産する、熟練作業者に一人何役ももたせるなどで人件費も圧縮する(22人→7人)、などによりマレーシア生産よりコストを10%下げた。東芝の場合、家電用システムLSIはオーダーメイドで大量生産できない、スピードが要求されるなどの理由で国内生産とし、開発・生産一体体制をつくったということです。

 さて、プリント板産業の収穫逓増効果はどの程度でしょう。電子機器産業と離れて存続することは難しい。電子機器が海外に出ればプリント板も出て行かざるを得ません。しかし日本ユーザー向けの電子機器もすべて海外に移転するのが機器メーカにとって有利とは思われません。結局、海外向けの電子機器は海外生産する、それに必要なプリント板その他部品は現地メーカか日系メーカから調達する、ということになるのでしょう。そしてプリント板の現地メーカ・日系メーカの競争も、電子機器メーカとの収穫逓増効果(結びつきによる効率向上)の競争になるのでしょう。一方、国内で電子機器、部品、材料メーカーの集積が弱まって、収穫逓増効果が出せなくなったら、どこかのブラックホールに吸い込まれてしまうかもしれません。輸送コストを問題にしない、一部の強い企業だけがブランドを武器にグローバルに製品を供給していくのでしょう。

[1] 藤田昌久/P. Krugman/A. J. Venables「空間経済学」(東洋経済新報社2000/10)
[2] NHKニュース04/2/9

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