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JPCA NEWS 2004.5 JPCA Home / Back / Menu / 前号 / 次号 花びらとプリント配線板 |
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日本人はさくらが咲くとじっとしておれない気分になるようです。今年も花の名所はどこも人出が多かったし、新入社員の場所取り風景も見ました。さくらを追って西は吉野、東北は弘前まで車で走った人や「薄墨桜」を見るだけに泊りがけで岐阜まで行った友人もいます。筆者はもっぱら近場のさくらを見て歩きました。毎日の散歩コースはこの時期さくらまつりでにぎわいます。 さくらの満開からほんの2週間もたつと、散歩コースはすっかり緑につつまれて、歩いている人の表情もなんとなく落ち着いて見えます。ところで道を歩いていて不思議に思うことは、枝も見えないほどいっぱいに咲いて、あと吹雪となっていっせいに散り、地面を敷き詰めたさくらのはなびらがまったく見えないことです。風で吹き寄せられたかなと道端を探してもはなびらの残骸らしきものが見あたらない。大量のはなびらはどこへ消えたのでしょうか。 ようやく何枚かのさくらのはなびらを集めて寸法を測ってみました。大きさはだいたい15ミリで、1円硬貨(20ミリ)よりやや小さい。厚さは推定0.8ミリ、重さは1.3ミリグラムくらいでしょう。これを指先で丸めてみると大きさは1ミリほどの黒い玉になりました。ゴマ粒より小さい。これでは道端の草や砂利の間に入ると見えなくなるはずです。枝いっぱいに1万個もの花をつけたとしても花びらの重さは65グラム、うち半分以上は水分です。「願わくは花の下にて春死なん」と西行が詠み、本居宣長が日本人の心とし、今なお日本人の心をとらえるさくらの花、その存在感がたったこれだけの重さでもたらされるとは驚きです。これなら毎年咲いても木が枯れることはない。地面に落ちた花びらはいずれ来年の開花のための栄養にもなる。 花を見れば目は花冠(はなびらが集まった花の外観)に行きますが、花冠とガクには生殖の機能がなく、葉緑素もありません。メシベ、オシベを保護したり、受粉してくれる鳥や昆虫を誘ったりするのが役目のようです。メシベやオシベだけでは植物の生殖はかなわなくて、生殖機能を持たない、大きさが何百倍もある花冠も必要、というところがおもしろい。はなびらをいっぱいに広げた花はそれぞれに豪華ですが、造りはいかにも繊細で、頼りない。しかし、雨に打たれるとしぼんで頭を垂れても、天気が回復するとしゃんとした元の姿に戻り、背伸びをするようにはなびらを上に向けいっぱいに広げるのを見ると、花の生気を感じさせられます。植物は最少量の材料で最大の構造と多彩なかたち、色をもった花を作り上げます。花の材料はほとんどすべて花冠の形の維持と華やかな色の発現だけに使われているように見えます。つかの間のパフォーマンスだけを目的にした無駄のないつくり。究極のかたちにもかかわらず、いろいろな形の花があるものです(図)。スポーツカーや飛行機では計算され尽くしたかたちはみな似通ってくるのに。 花に限らず、生物の働きのほとんどは細胞膜の表面や細胞間の界面で行われています。動物の知能も脳の大きさではなく、いりくんだ表面(大脳皮質)の面積で決まるらしい。プリント配線板や実装に目を移してみます。チップ部品の小型化は休むことなくつづいています。0402サイズ(縦0.4mm×横0.2mm)のチップ部品が携帯電話機ではそろそろ実用期に入ったようです。わたしたちはとかく歴史を直線的にとらえて、チップ部品はこの20年間に1608から0402まで大きさが1/4になった、今後も小型化はこのペースで進むだろう、と考えがちです。しかし部品の体積はこの20年で1/64になっているのです。こんなサイズの縮小がいつまでもつづくとは思えません。いずれ限界がくるでしょう。陸上や水泳の記録にも限界があるように。半導体の集積度アップに関するムーアの法則も微細化が原子レベルまで到達するともう通用しなくなると予想されています。部品やプリント配線板の微細化の限界はどこからくるでしょうか。 中身が均質の米つぶ、ゴマつぶならすりつぶして細かくするのは難しくないと思いますが、チップ部品では固有の電気特性(抵抗、コンデンサ、コイル)の値と精度を維持したままサイズだけ小さくしていくのです。同じ容量のコンデンサチップのサイズを1/4にするには層の厚さを1/8にして積層枚数を2倍にしなければなりません。コイルも渦巻きパターンをよりファイン化し、シートさらに薄くしてもっと多層化しなければならないでしょう。多層板で層間厚さを1/8にするなどというのはずいぶんこわい話と思います。それを実現した日本の部品メーカはすごい。目に見えないような細かい部品を高速でつまんでプリント配線板上に実装するマウンターメーカの開発力もすごい。 筆者が思うのに、生物に限らず、たいていの物の機能は物の内部から出てくるのではなく、物の表面の働きです。性能の差も表面のわずかな違いからくるものが多いでしょう。人については、「表面」は「うすっぺら」「うわべ」「上っ面」とあまりよいイメージで使われませんが、「人間、中身が大事」などと無口を売り物にできたのは、その昔、変化の少ない閉鎖社会の中だけではないかと思います。これからの時代、よその会社、外国、畑違いのひととの付き合いができない人は働く場がだんだん狭くなるでしょう。では、物の内部(表面以外、マス)はどんな役割をもつのでしょうか。筆者は、それはエネルギーであり、いろいろな形の蓄えだと思います。アインシュタインの公式、 E=mc2 (E:エネルギー、m:質量、C:光速) のとおり、まさに質量(マス)はエネルギーなのです。それに対して情報は表面にあるといえるでしょうか。花の持っているのはほとんどが情報だけで、軽いためにエネルギーはない。葉っぱは光合成で炭水化物を作りだし、自分自身をふとらせ、根や幹に蓄えます。企業の組織では営業や購買、製造や開発の現場が表面にあたり、間接部門や管理部門は内部で、エネルギーを蓄えて「表面」での活動をサポートします。蓄え(資産や知的財産、ノウハウ)は環境の変化に対して組織を守る皮下脂肪となるが、皮下脂肪ばかり厚くなると身動きがにぶくなり、組織の活動が非効率になります。モノが小さいほど表面積の体積に対する比率は大きくなり、身軽になり、表面での活動がもろにモノの動きを左右します。微粉の爆発の危険も体積に比べて表面積が大きすぎる結果です。形状が球状でなく、はなびらのように扁平になるとさらに反応性が高まります。全員プレイヤーのベンチャー企業のように効率はよいが不安定にもなる。 さて、プリント配線板は3次元の立体構造といえるでしょうか。いまやほとんどが多層板であり、厚さもあるので物理的には3次元ですが、筆者は実質は平面配線の積み重ねに過ぎず、3次元配線とはいえないと思っています。プリント配線板メーカに対するアンケート結果を見ても、めっき、洗浄、研磨、接着、コーティングなどの表面処理が製品品質や製造歩留の大方を左右していることがわかります[1]。実装でははんだのヌレはまさに界面の反応であり多分永遠の課題です。昔から金ムク、金張りをありがたがり、めっきは軽んじられてきました。はんだ付けも何千年の歴史のある古い技術と思われがちですが、これら表面技術こそが更なる高密度化実現の鍵になることは確かです。付け加えると、プリント配線板メーカでの改善課題のトップは「異物管理」になっています。クリーン化はファイン化の出発点なのです。 |
| [1] | 「電子回路産業調査レポート」(JPCA, 2003) |


