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早起きして、リュックにトレッキングシューズ姿で電車に乗り、車窓からぼんやり町や村の景色を眺めたり、うたた寝しながら揺れていくのはいいものです。せわしげに乗り降りするスーツ姿のビジネスマンや、がやがやと騒がしいが活気のある高校生の群れをねぼけまなこで眺めながら。 電車が山沿いを走ると片側は山、反対側は田んぼや畠、その向こうに田園風景が広がる。山の側はつたや雑草の生い茂る、荒れたところも多いが、何百本もの杉やひのきが下枝をきれいに落とされ下草が刈られて立ち並ぶ見事な林。反対側は地形に沿ってさまざまな形の小さい田んぼがすこしずつ高さを変えてつづき、それぞれに稲穂が揺れる。こんな景色が人の心を和ませます。日本人の原風景。 しかし筆者はいつも、このきれい林や田んぼの手入れをしているのは誰だろうか、と考えます。多分、60代、70代の高齢者が、祖先の残した田畠、山林が荒れるのを見るに忍びず、老骨にむち打って守っているのでしょう。採算はどこもまず赤字です。息子たちは都会に出てしまうし、環境派、自然派のボランティアに自然を守る気持ちがあっても、それを職業にしては食っていけない。何百年もかけて作り上げてきた美しい林や田んぼも放っておけば数年で山になってしまいます。一旦山に戻ってしまえば美林、美田を再生することはほとんど不可能でしょう。 棚田は世界に誇る日本の景観として人気が高い。「棚田百選」などが選ばれ、税金を投入して棚田を守る動きがあります。しかし批判もある。そもそも棚田は景観のために作り上げてきたものではない。わずかでも米の収穫を増やすために、大変な労力をかけて作り、維持してきたものです。観光資源として採算のとれる補助を行うのならともかく、環境保全のためだけに棚田を守るというのでは納得が得られないでしょう。 線路脇につづく無名の田んぼや林を守るのは観光のためではなく、日本の国土を守るためです。多摩川源流の森林は東京都民の水がめ。小河内ダムの水源として維持管理に大変な労力が払われています。そこには「森林は緑のダム」と掲げられています。 さて、プリント板業界の再編について。聞くところによると、最近、日本の老舗プリント板メーカーが次々に新興企業グループの傘下に入っているそうです。過去、日本のプリント板メーカーはたびたびの不況の波をかぶりながらも、不思議と倒産、破綻が少なかった。アメリカでは20年前のPCショック以降、たくさんの企業が再編、流転を繰り返し、多くの名の通ったプリント板メーカー、材料メーカーの名前が消えました。日本の銀行再編のように。エクセレントカンパニーといわれたDECはライバルHPに吸収された。日本のセットメーカーでは企業再編こそあまりないが、合弁、事業譲渡の形での再編が毎日のように報じられています。プリント板業界ではかつて通産省を中心にさまざまな構造改善政策が進められました。しかし具体的にはあまり進展しなかったようです。中小、零細企業の多い業界ですが、大半の企業は顧客と一体化した技術・品質、顧客とのつながり、信頼関係により、利益率は低いながら経営を維持してきました。創業社長を中心とする草分け時代の人たちの、さながら棚田を耕すようながんばりと労苦がこれを支えた面も大きかったと思います。さる創業社長の奥さんの言葉で言えば「聞くも涙、語るも涙の時代」です。 企業の寿命30年といわれます。江戸時代からつづく老舗もあるが、おおむね30年も経つと、作るモノが変わり、社会も人も変わって、創業時代の感覚やスタイルでは経営できなくなるのでしょう。プリント板業界がテイクオフし高度成長をはじめたのが昭和40年代、そして年率25%の成長が15年もつづきました。あれから30年経ち、この業界も欧米やセットメーカーと同様、再編の時期をむかえたのでしょうか。筆者はそれはそれで悪くないと思っています。若い有能な経営者が現れて、いくつもの同業企業を統合し、新しい考え方、戦略で、より強い企業に成長してこそ、日本のプリント板業界の活力が保たれ、海外メーカーに対抗できる競争力も生まれてくると思うのです。中国、韓国を往来する人に聞きますと、一様に、海外企業トップの強い意欲と積極果敢な投資におどろくといいます。 その一方、時代が変わり、経営が変わっても残して欲しいものがあります。それは日本の「ものづくりの遺伝子」です。NHKの人気番組「プロジェクトX」はかつて新製品開発や大工事に取り組んだ技術者たちの挑戦の記録です。それぞれにすごいと思いますが、いささか回顧調、ナツメロ調が気になります。若い人にどの程度アピールしているでしょうか。筆者には、新しい開発に取り組むベンチャー企業や若い技術者の今の活動や科学番組の方が「なるほど」と感心することが多くおもしろい。しかし、昔も今も、海のもの、山のものともわからない、成功の見込みが薄い研究や開発に、金儲け、出世には目をくれず夢中になる人たちがいるものだと感心します。その気風をここでは「ものづくりの遺伝子」といっていますが、匠の精神、職人気質、「おたく」などといわれているものです。その人たちが新しい産業のタネを生み出し、新しい時代のきっかけを作ってきました。タネを育て、大きくしていくのが組織者であり経営、マネジメントです。経営手法には理論があり、経営者はある程度養成も可能ですが、タネがなければ何もできない。そのタネを生み出すのは「ものづくりの遺伝子」の豊富な「おたく」、変わり者で、たいていは組織の周辺部やベンチャーあるいは独力でやっています。 どのスーパーにも形のそろった同じ種類の野菜やくだものが並ぶ。売れる品種だけが作られるのです。こうしてモノカルチャが進行し、作られる品種が減って絶滅する品種も増えているそうです。すると、世の中が変わって人々の嗜好が変わったり、地球環境が変化して、栽培品種を変えようとしても、作れる品種がなくなっている可能性があります。将来備え、種の多様性を守っていくために、できるだけ多くのタネを保存しておくという遺伝子バンクが世界各国に作られています。 筆者は比喩的ですが、匠の精神、職人気質、「おたく」というのは日本人の伝統、遺伝子ではないかと思うのです。金儲けより技術を面白がる、職人を尊ぶ、あこがれる、などというのは多くの日本人に共通した傾向のように思われます。イタリヤで開催中の「ベネチア・ビエンナーレ国際建築展」では、「おたく」をテーマにした日本のパビリオンが話題を呼んでいるそうです[1]。「おたくの本質である多様性こそが、日本から発信される太い文化の流れを作っている」とありますが、ものづくりでも「おたく」は日本の強さの基礎となるのではないかと思うのです。筆者の友人には畠を作る人が多く、100坪、1反歩も作っている人もいます。主婦の発明も面白い。これらも「おたく」に通ずるところがあります。 筆者の望みは、趣味で畠を作る人だけでなく、「おたく」が職業としてもなんとか成り立つような、それを許容するゆとりある社会です。多様な「おたく」に道楽をさせ、そこで生まれるタネ、アイディアを活かして敏腕な戦略家が事業化する、というシナリオです。ボランティアもそうです。災害に駆けつけるボランティアはえらいと思いますが、周りも身銭を切って活動しているボランティアに目をつむってはいけません。地方、山間部で栄々と伝来の山や田んぼを守る人たちが、また都会から農業を思い立って移り住んだ人たちが、苦労は多いながらもなんとか食っていけるような、施策を考えて欲しいと思うのです。 いまの教育論議は、一流の学者、技術者や敏腕な企業家の育成に偏っているように見えます。大半の子どもはそうはなれない。どこかの分野の職人か、「おたく」になるしかない。世間は狭くなってもそこでこつこつやるしかない。そして、新奇なものは「おたく」のこつこつ、シコシコとあきらめない持久力の中から生まれるものだと思います。 以下はインドネシアから来日した早稲田の先生の体験記です[2]。若者の2極化が心配される今日、有益な意見だと思います。 「私がかつて勤めたある私立大学では、教師は超一流の大学出身者ばかり。一方、学生の偏差値は低く、8割は授業が理解できません。教師は2割しか相手せず、残りは社会に出ても邪魔者にされるのです・・・ そこで、教育には素人だったのですが、2割のできる子を育てようという日本の昨今の常識と反対に8割の学生にやる気を起こしてやろうと考えました。講義の目的をはっきり示し、私の授業をしっかり聞けば君はこの科目分野で一人前になれると学生に約束した。その代わり学生には遅刻や私語は許しません。大人同士の約束です・・・」 |
| [1] | 「世界が注目“おたく”の迷宮」(日経04/9/26) |
| [2] | カワン・スタント「『フリーター対策』では遅い」(日経04/9/6) |
