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JPCA NEWS 2005.03

二極化と二足歩行

 歩きながら考えました。ひとは、同じ場所に1時間も立っておれないのに、1時間歩くのは苦にならない。そもそも、二足で倒れないで歩けるのがすごい。歩きながら首に手を当てると、首筋の筋肉がリズミカルに動いているのがわかります。歩くときはからだのあらゆる部分を使っているのです。手の小指を傷めただけでも歩き方が不自由になります。歩くときの動作を考えてみます。左足を前に出し、右足で蹴ってからだの重心を前に移動させる。重心が左足より前に出るとからだが倒れそうになる。急いで右足を前に出し、転倒を防ぎつつ、からだを前に進める。これを繰り返して、歩いたり、走ったりするのですが、これは「倒れながら歩く、不安定の安定」ではないか、と。

 陸上競技のランナーが走る姿は美しい。ウオーキングでも早足で歩く中高年が増えています。早足でリズミカルに歩く格好は人それぞれですが、みな面白い。幼児が爪先立ちで小走りに母親に付いて歩く親子もしあわせそう。人型ロボットがやっと二足歩行ができるようになったといっても、歩く姿はいかにもぎこちなく、生身の人間の自由さがありません。

 近ごろ「勝ち組、負け組」「二極化」という言葉をよく耳にします。ウィン・ウィンで、どの企業も成長でき、利益をあげられる、あるいは、一億総中流、映画や新聞漫画で見たアメリカンライフをだれもが楽しめる、そんな平等な社会が実現しそうにみえた時代がありました。それが今、学力、個人所得、地域経済など、いろいろな面で格差が拡大し、不平等が広がっているといわれます。実際、30歳台で何百億円もの金を動かすIT企業の創業者がいれば、就職したくてもできない若者も多い。時給800円〜900円の求人広告を、この収入だけで食っていけるのかなと心配しながら見ています。

 マスコミは繰り返し、格差の拡大は社会正義に反すると主張しています。しかし筆者は、二極化(多極化)、格差拡大は自然のダイナミックス(力学)ではなかろうかと思うのです。品質管理では平均値や標準偏差がおなじみですが、所得分布や学力の統計などにも平均値や偏差値が使われます。しかし、意味のない使い方も多いようです。アメリカでは、最近、社長の給料と従業員の給料の比率が千倍を越えたとか。日本でも野球選手の所得は平均的なサラリーマンの100倍から、数分の一までの幅があるでしょう。平均所得といってもほとんど無意味です。個人や企業が自由勝手に競争(闘争)して、力関係だけで所得分布が決まるとすると、その分布は釣鐘状にはなりません。所得ゼロに近い層が圧倒的に多く、所得が高くなるにつれ人数が減少していく、裾野の広い分布になります。容器に入れた気体分子がぶつかり合って、熱平衡に達したときもこんな分布になります。競争を全く自由にすると所得格差が大きくなりすぎ、下層の人が生きていけなくなるので、累進課税、セーフティネットやさまざまな規制が取り入れられます。しかし、制度の維持は大変で、施策が及ぶのは、身内、国内だけにとどまります。その周りには国境などのバリアが張られ、外部からの侵入から守っています。「世界人類が平和でありますように」

 笹川良一さんでなくても「世界人類が平和でありますように」は万人の祈りです。日本人は平和で中流の今の生活がつづくことを願っているでしょう(多少の不安を覚えながら)。しかし、豊かで、平和は難しい。恒温動物が体温を維持するのに莫大なエネルギーを要するように(変温動物の30倍ものエネルギーを消費する(本川達雄))。高い生活レベルの維持には外部からの大量のエネルギー注入が必要です。日本の中流の生活も海外の多くの国の人々に依存していることを忘れてはなりません。

 さて、二極化、多極化や格差拡大は自然のダイナミックスとして、このような格差は固定的なものでしょうか。いつの時代も、格差を享受する者は障壁を立てて地歩を守ろうとしますが、下積みにある者はそこからの脱出をはかり、争いが起こります。そして、安定に見えた上下の関係が、あるとき急にひっくり返るのです。二足歩行で、右足、左足が交互に入れ替わるように。文明、経済のサンスポット(黒点)がヨーロッパ→アメリカ→日本→中国と移っていったように。前に出た足も、いつまでもそこにとどまっておれない。いずれ、もう一方の足が前に出て、入れ替わります。経済の重心は今後BRICs諸国(ブラジル、ロシア、インド、中国)に向かうといわれています。多極があって、順繰りに先頭が入れ替わってこそ、世界のシステムは安定するのではないでしょうか。 

 昨年、プロ野球が大ゆれしましたが、経済学の先生は「経済学的に考えて、ファンがどちらの球団が勝つか分からないというスポーツのスリルを楽しんでいる限り、球団間の戦力均衡は保たれ、球団は利潤を最大にすることができる。理論上、選手の移籍を自由に、年俸も自由にしても均衡はとれる。参入制限その他いろいろな規制があるから均衡が破れ、個別球団が利潤最大化をはかろうとすると、プロ野球全体の利潤が最大値からずれることになる」と論じています[1]

 永遠、不敗に見えるエクセレントカンパニーも超大国も、ひとり勝ちはあまり永くつづかないようです。競争による圧力がきびしく、優位を支えてきた環境に変化が起こるためでしょう。宗教間の争いは熾烈で、命がけです。生生流転、万物は絶えず移り変わっていくとする私たちには、経典を絶対視し、正邪を峻別する宗教にはついていけない思いがあります。ところが先日読んだダライ・ラマとノーベル賞の小柴先生、村上先生との対談の様子が面白かったので少し紹介します[2]

 「2003年11月、ダライ・ラマ法王来日記念の『科学と宗教の対話』で物理学の小柴先生と私で対話しました。・・・小柴先生は非常に鋭い質問をされました。『仏陀が生まれて2500年、キリストが生まれて2000年、なぜ戦争は治まらないのですか。愛とか慈悲を説いてきた宗教そのものがどうも戦争の一因ではないのですか。自分のところだけが正しい、正しくないやつは叩いてもいいということになりませんか。・・・21世紀は仏教のような、非常に心の広い寛容な教えが大切なんじゃないですか』。ダライ・ラマ『いや、私はそうは思わない。キリスト教もイスラム教もユダヤ教も、その教えはとにかく本当にすばらしい。しかしだんだんそれが伝わっていくにつれて、信じている人が、自分の政治目的、自分の集団の目的に使っている。使い方が間違っているだけで、愛とか慈悲を説いている教えはすばらしい』。

 小柴さんはさらにつっこんで、「それではダライ・ラマさん、あんたはビンラデイン氏を説得できますか」とこう言うんですね。愛とか慈悲でビンラデイン氏を説得できますか。ダライ・ラマは一瞬、ちょっと詰まりましたが、さすがですね、「大変難しいと思う。彼は銃を持っている。自分は仏像しか持っていない。大変難しいけれど、できたら彼に会ってみたい。なぜかと言うと、彼の中にも仏心・仏性、慈悲の心はあります」と言うんですね。・・・

 私が『科学者と対話していて、仏典のこの箇所は科学的に全くおかしいと指摘されたらどうしますか』と質問をしたら、『仏典を変えます』と彼は言いました。『なぜ仏典を変えられるのですか』と聞くと、『仏典は人間が書いたものです。人間の書いたものには誤りがあります』」。この柔軟性はすごいと思います。

 二極化、多極化は避けて通れないとしても、二極、多極を固定してはなりません。いま日本で進行中の二極化では、固定化、社会の階層化もすすんでいるといわれます。これは問題です。明治維新は下級武士が主導したし、戦後日本のTQC、高品質も、家庭の事情で進学できなかった現場の優秀な中卒、高卒によって支えられてきました。能力と努力があれば、誰にも成功のチャンスがあり、皆がそれを信じてこそ社会は安定し、活力も維持できます。かつて池田首相が『貧乏人は麦を食え』と失言して物議をかもしました。共に仕事をした宮沢元首相は『貧乏なときは麦を食え』と言っておけばいいのに、池田さんは正直者だから・・・」と。

 さて、プリント板業界の多極化とその固定化の程度はどうでしょうか。図は1997年と2003年の国内プリント配線板企業の売上高ランキングです[3]。また下表は上位企業のシェアと上位企業の顔ぶれの交替数を示したものです。売上高規模の大きい少数の企業が大きなシェアを占めますが、中小規模の企業も、数が多いため、合わせると50%近いシェアを保っています。


  シェア(1997) シェア(2003) 6年間での交替数
  上位10社 40% 43% 2社
  上位20社 53% 58% 5社
  残り200社余 47% 42% 

 図から、6年前と今で企業規模別のシェアのパターンはほとんど同じ、つまり業界の構造にはほとんど変化のないことがわかります。その一方、上位企業の顔ぶれは1/4程度入れ替わっています(上表)。今後、技術革新、社会構造の変化に応じて、新らしい企業が誕生、急成長し、このような交替がすすめば、業界の活力を維持していけるでしょう。


[1] 大竹文雄「プロ野球を経済学で考える」(学士会会報2004-Y)
[2] 村上和雄「あなたの思いが遺伝子のはたらきを変える」(学士会会報2005-T)
[3] 「電産新報」(2004.4.26)のデータを筆者が加工
プリント配線板売上高ランキング[3]

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