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JPCA NEWS 2005.04

泥の文明とプリント板

 やっと歩けるようになった幼児にブーツをはかせ、手をひいて散歩に出ます。水たまりがあると、幼児はわざと水たまりの中に入っていく。もう薄暗くなった砂場で、幼児がたったひとりバケツに砂を入れたり、出したり、飽きもせず遊んでいる。小学生に泥田で魚のつかみ取りをさせると、最初、おそるおそる田んぼに足を入れていたのが、そのうち泥団子を投げあっての大はしゃぎ。泥田に寝転がる子もいる。どうして子どもは水たまりや、土や、どろんこが好きなのか。大人になると、水たまりをよけ、どろんこを敬遠し、乾いた土地、舗装した道を好むようになるのでしょうか。個体発生は系統発生を反復する。水辺から陸地に上がってヒトに進化してきた遠い昔の記憶がそうさせるのでしょうか。

  さて、アメリカは米国流のグローバリゼーションを押し付け、ならずもの国家に民主化を迫っていますが、それを押し通せばいずれ世界中が同じ価値観と生活スタイルを持つようになり、どの国も幸せになれると信じる人は少ないでしょう。国境その他の障壁を全部取り払えば、国際的な格差は一層大きくなり、貧困な国は立ち行かなくなり、かつかつ生活していた貧困層の人たちは生きるすべをなくし、危険な橋を渡るかもしれません。EUが拡大した結果、ドイツの失業者は500万人を超え、戦後最悪になったと報じられます。交通が発達して僻地の村は過疎化し、豊かな大地の北海道はかえって経済的に苦しむようになりました。経済や技術のグローバル化は時代の流れで、とどめようがないとしても、それぞれの地域に合ったローカライゼーション(地域に合った施策と何らかの障壁)は必要でしょう(これをグローカライゼーションというようです)。今のアメリカのグローバリゼーション、規制緩和の要求は、19世紀末のアメリカのスローガン「機会均等、門戸開放」に似ています。「門戸開放」はかっこよく聞こえますが、基本的にはパックス・ブリタニカ(自由貿易帝国主義)と同じで、「非領土的で経済的な膨張政策」だといわれます。

  どの国もそれぞれ地理的、社会的にさまざまな難しい条件のもとにおかれています。安泰な国などひとつもないといってよいでしょう。それぞれの国の歴史や生き残り戦略は地理的、社会的な条件に制約され、住む人々の考え方も風土に左右されます。松本健一「砂の文明・石の文明・泥の文明」は環境とそこに成立する文明の形を面白く説いているので少し紹介します(筆者の要約)。

  「近代ヨーロッパの文明は『石の文明』である。成立したのは、気候温暖で自然が豊穣な南ヨーロッパではなく、寒冷で石がちの風土のイギリスや北フランスにおいてであった。

  土地が不毛であるために、農業をおぎなう牧畜が主産業となった。・・・そして、そこでの文明は牧畜文明的な性格をもった。牧畜文明は、牧場や村(共同体)、国家の内にこもって繁栄するのではない。羊や牛を増やすためには土地を外に拡大しなければならないわけだ。外へ出て、フロンティアを見出し、テリトリー(領土)を拡大するかたちで繁栄する。つまり、『外に進出する力』をその文明の本質としている。西ヨーロッパ、そしてそのニューフロンティアとしてのアメリカの文明にあっては、技術革新(イノベーション)は外に出てゆくための交通、輸送、通信機関、そうしてテリトリーを穫得し、それを維持していくための兵器や法律、といった分野において発達する。当然、攻撃に強い。

  アジアの文明は『泥の文明』。アジアの農耕社会は三千年来、隣の民族、隣の村落と、山や川をへだてて共存することを強いられている。その結果、『外に進出する』ことは無理で、同じ土地に何百年となく住みつづけている。つまり、アジア文明は、田畑・家・村 (共同体)、国家の内部に定住し、そこにこもって繁栄するかたちの『内に蓄積する力』を、その本質としていた。東アジア文明にあっては、技術革新(イノベーション)は田畑の生産力を高めるための品種改良・品質管理、あるいは家の維持のための貯蓄、教育水準の高さ、そうして村(共同体)の繁栄のための相互扶助的な経済システム、といった分野において発揮される。当然、守りに強い。

  イスラムは『砂の文明』。イスラムの世界は砂の風土である。植物さえも一カ所に定着しているものは、ほとんどない。石の風土よりも一層過酷で不毛で、人間が食物を栽培したり定住したりすることが極めて難しい風土である。そこで、生活の糧はどうするかといえば、砂漠の唯一の輸送手段であり、財産となるラクダの遊牧からはじまり、そのラクダを用いて、砂漠のうえを隊商(キャラバン)を組んで縦横無尽に移動し、交易に従事するしかないのである。得られるのは、交易による利益である。アジアにあるものをヨーロッパに、ヨーロッパにないものをアフリカから、またはアフリカにないものをアジアから持って行けば、それぞれ売買が成立する。どこに行けば何が高く売れる、というように情報を集め、それをネットワークする力をそれぞれの部族が持つ。『ネットワークする力』こそがイスラム文明の本質である。テロリストのみがネットワークを持っているのではないのである。」[1]

  松本先生は、西欧、アジア、イスラムの文明を「石の文明」、「泥の文明」、「砂の文明」として対比させています。文明の生い立ちの違いが、今も昔のまま、それぞれの地域に住む人々の考え方、行動を規定しているとは思えませんが、それぞれの特質をうまく言い表しているように思います。

  東アジアの大陸東端にそって走る領域は緑が豊かで「エイジアン・グリーンベルト」と呼ばれています。グリーンベルトの東端にある日本は古来「豊葦原の瑞穂国」(古事記)とよばれましたが、西端のインドカルカッタの名も「葦の生える沼沢地」からきているそうです。古事記では、日本は、国土が水に浮いた油のようにただようところを、天の浮橋からさしおろした矛でかきまぜ、その矛先からしたたりおちたとされます。天理教の創世記には、人間はもともと泥の中に住むドジョウであったと書かれているそうです。日本がもともと湿潤の地であったのは確かのようです。アジアの農業生産性がヨーロッパに比べて格段に高かったことは、木村尚三郎先生の本にも見られます。

  「古代ゲルマンの経済は牧畜経済であり、農業は副次的なものであった。ゲルマン人は定着性よりも移動性に富んでいたわけであり、農業経済社会にみられるような経済的相互依存の結びつきは弱い。ゲルマンの男たちが戦争と狩猟に明け暮れ、それ以外はなすところなかったのも、彼らの経済生活がいまだ大地に十分根ざしていなかったからであった・・・

  西ヨーロッパには、わが国江戸時代の「間引き」に相当するものはない。わが国のばあい、もしそれをしなければ新生児が育ってしまい、他の家族が経済的に困窮したわけであるが、西ヨーロッパではわざわざ人為的に「間引き」しなくても自然が間引いてくれたのであった。大自然のうちにおかれた人間の状況は、わが国と引きくらべて、まさに苛烈そのものであった・・・

  ところで11世紀後半から13世紀前半の西ヨーロッパ封建社会期に見られた社会的エネルギーの噴出は、いわゆる「中世暗黒時代」などというイメージを吹きとばす強烈なものであった。それを可能にした根本的な原因は、当時農業上の技術革新が農民の問に普及・一般化したことと、その集約的表現としての三圃農法(注)が、集村を場として展開されたことであり、これによって西ヨーロッパが本格的な、また個性的な農業社会を作り出した。この時代における農業上の技術革新とそれによる社会的生産諸力の画期的上昇は、しばしば19世紀半ばの第一次産業革命に匹敵するとされている・・・

  三圃農法の展開により、穀物収穫量が飛躍的に増大したといっても、10世紀には収穫量が播種量の3倍ていどであり、つまり1粒の穀類を播いて3粒とれたくらいのものであったのが、この当時、少なくとも倍増したであろう、というにすぎない。江戸時代すでに米の収穫量が播種量の40倍に上ったとされるわが国のばあいからすれば、はなはだミゼラブルな状態といえよう。」[2]

  松本先生には、アジア、日本は「泥の文明」、泥は豊穣の源泉であるとの思いがあります。汚泥、泥臭い、どろどろした・・・どれも言葉のイメージはよくないし、清潔好きの女性にとって、泥には不潔のイメージがあるでしょう。しかし、これからの時代を、直線的な「石の文明」の論理だけで押し切るのは無理です。地球上に「石の文明」を支えてきたフロンティア、辺境ははなくなったのです。どの地域もそれぞれの領域で『内に蓄積する力』を高めていくしかないのでしょう。泥に何が入っているかはわかりませんが、次の時代を生きていく上で大切な多くのものが隠れているに違いありません。筆者の周りには、野菜を作っている人がたくさんいます。そういう人たちの言葉は信用できると筆者は広言しています。なぜなら、植物が芽を出す時期、生育にかかる時間を知っているから。プリント板製造やめっき加工などには、泥くさい、3Kといったイメージがあります。しかし筆者はそういうところに蓄積された力こそがこれからの日本のプリント板産業、さらには日本の製造業を支えるのであろうと信じています。

  注.三圃農法:ひとつづきのまとまった広さの耕地を秋畑(冬畑)・春畑(夏畑)・休耕地に三分し、つねに耕地の三分の一を休ませ、三分の二を耕作する方法。それまでは二圃耕作であったが、三圃農法にして生産性が大幅に向上した。


[1] 松本健一「砂の文明・石の文明・泥の文明」(PHP新書)
[2] 木村尚三郎「歴史の発見」(中公新書)
石の文明と泥の文明の田園風景

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