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ある年、友人と中仙道を歩きました。鳥居峠から「奈良井の宿(ならいのしゅく)」に下る途中、夕暮れの気配がただよいはじめ、帰りの電車が気になってきました。歩いて駅まで時間がどれくらいかかるか知りたいが、うかつなことにまともな地図をもっていない。友人は、やおらJRの時刻表を出して、薮原・奈良井間は6.6キロ、ここからならあと1時間で奈良井の駅につける、と下りを急ぎ、なんとか電車に間に合いました。しかし鳥居峠越え(海抜1299m)は中仙道きっての難所といわれたところです。6.6キロは鉄道距離、そして電車は鳥居峠下のトンネルを通っているのです。
そのときはずいぶん乱暴な読みだと思いましたが、いま考えるとそんなに無茶ではなかったようです。
東京から京都までの直線距離はざっと372km、その鉄道距離は480.9km(直線距離の1.29倍)です。鉄道は東京・京都を結ぶ直線からかなりはずれて走るように見えますが、距離的には30%ほどしか長くなっていないのです。東海道五十三次の江戸日本橋〜京都三条大橋間の道のりは513.6kmということですが、鉄道距離との差はたった7%です。これにはおどろきました。
中仙道は東海道とならぶ江戸・京都を結ぶ重要な街道です。政治的、軍事的な理由からわざと地形的に通行困難なルートにしたともいわれる山岳地帯、山越えの難所が多いルートです。その長さは530kmとされますが、東海道五十三次に比べ15km長いだけ、これもおどろきです。
仲間と何年かかけて多摩川河口から源流(水干)まで歩きました。川の長さは138km。直線距離では96kmですから、蛇行により40%あまり長くなっていることになりますが、地図で見る蛇行の様子から想像するより差は小さい。
川の流れは蛇行しながらも海に向かって流れ、街道は京都に向かう、そのマクロ的な方向が変わらない限り、蛇行、迂回を繰り返しても距離的にはそれほど変わらないことがわかります(人生、多少寄り道しても歩く距離はそんなに変わらない)。しかし道の辿り方によって起伏は異なり、見える景色も違ってきます。川沿いを車で走ってもあまり感激がない。「のぞみ」に乗れば目的地に早くは着けるが、旅の風情はない。東海道五十三次の旅は、やじきた道中や広重の浮世絵に見られるように、都は「上がり」になっていても、道中を楽しむほうが主の旅であったようです。お伊勢参りも一生一度、楽しみながら、羽をのばしながらの旅だったようです。「ブルートレイン」はなやかなりし頃は、食堂車で富士山を眺めつつ朝食をとったもので、まだ旅の気分がありました。
近ごろの会社経営にはスピードが求められ、「長い目で見てプラス」などと悠長なことは言っておれない。プラスマイナスすべての情報を開示し、四半期ごとにそれなりの業績を挙げなければなりません。今や「結果を出せ」が株主、企業トップから各セクションのボスにいたるまでの合言葉です。しかし、言うは易く、行うは難し。「どうやって?」と問われて、「自分で考えろ」と言うだけ、進む方向、道すじを指示しないのではボスの役割を果たしているとはいえません。
「吊橋の向こうの青嶺(あおね)に登りたし(藤田湘子選)」。青嶺の頂上に立つだけならヘリコプターで運んでもらえは簡単、せいぜい10万円くらいか。句の作者の思いは歩いて登ることです。青嶺の標高はわからないし、ルートも見えません、しかし頂上に向かって登る行程を楽しみたいのです。青嶺はなくてはなりません。それは目指す方向、目標ですから。時に目標を見失い、引き返したり迂回して進みますが、一貫して遠い目標に向けられています。過去の大きな発見や発明の歴史を見ると、それを成し遂げた人たちの人生をかけた執念に感銘を受けます。ただし、目標を達成できるのはごくわずかの恵まれた人たちだけ。執念で取り組んでも、大部分の人が、行き詰まったり、道に迷ったりして目標にたどり着くことができません。大きな発明、発見や革新的な創業を成し遂げた人たちの天才、資質だけでなく、失敗に終わって消えていった人たちの数々のドラマ、その道のりがまたおもしろいのです。成功した人たちは一様に「運がよかった」と回顧していますが、かなりの部分、実感だと思います。
無念にも力尽きて目標に到達できなかった人は人生の失敗者でしょうか。その人の一生は無価値だったでしょうか。そうではない。懸命に努力した過程こそが貴重です。普通の人には、自ら達成したと自他に誇れる業績はほとんどないでしょう。しかし、誰でも苦労した経験、つらかった思い(忘れたい過去も)たくさん持っているはず。同時に、人に自慢するほどでなくても、ひそかに自負する実績のいくつかも胸に秘めていると思います(筆者は「それぞれのプロジェクトX」と呼んでいます)。それらは全てその人の人生の証(あかし)なのです。発明発見やビジネスの歴史書に残らなくても。
ヤマト運輸の小倉昌男さんが亡くなりました。小倉さんは、宅急便事業を起こし、運輸省と訴訟を起こしてまで渡り合い、宅配市場の基盤を作り上げました。退職すると、一転、私財24億円を投じて福祉財団を設立、無報酬で障害者の自立支援に残りの人生をかけました。筆者は特に晩年の障害者支援活動に感銘を受けます。小倉さんは起業家を目指す若者に向けて、こう語っています。「まず、志を高く持ちなさいということを言いたい。志の低い人は、ダメです。また人間的にも優れていないといけない。人格・品格の無い人に起業は無理です。限りのある短い人生なんだから、品格高く、志も高く生きて欲しい。
ベンチャーで成功する、しないは、大したことではありません。成功して得られるお金なんて儚いものです。それよりも、成功するために必死に勉強したり、努力したりすることの方が大事。だから、若い人は高い志を持って、一生懸命に努力してほしい。」
業績を挙げた有名人が亡くなると、新聞に死亡公告が出ます。そこに故人の業績が数行ほど載っていますが、筆者は、人の一生は要約するとこんなものか、としばしばむなしい思いで読みます。書かれている業績の何十倍もの成功に至らなかった試み、その時々の思いがあったはず、そして本人の胸の内ではそちらのほうが成功体験より強いはずだと思うのです。平凡なサラリーマンにもそれぞれに、成功に至らなかった試み、その思いがあるはずです。私たちはそれぞれ、自分の経歴、思いを大切にしたいものです。第三者的にどのような値打ちがあるにせよ、一回きりの人生の証なのですから。そして、そのような眼でまわりの人の人生についてもあたたかく接したいものだと思うのです。
歴史には結果が残るだけで、プロセスは残りません。しかし個々の人生の思い出はプロセスの中にあるのです。京の都への上がりではなく、道中にある。お互い、自分なりの人生のプロセスに誇りを持ちたいし、人のプロセスもそのように理解し、尊重したい。
小倉さんは障害者介護に「経営」の視点を取り入れました。保護の視点に立つ作業所、授産所ではせいぜい月1万円しか払えない。しかしこの金額では障害者は生きていくことができない。まず月10万円出すことを目標に掲げました。障害者を隔離、保護の対象とするのではなく、障害者が自立してそれなりに食っていける道をつけようと発想したのがすごい。小倉さんに共感し、障害者支援を志す女性にかけた言葉、「1万円脱出なんて、そんなみみっちいことはお止めなさいよ!やっぱりねえ。きちんと会社にして障害者を雇用して給料10万円払うっていうのがいい。これからはベンチャーだよ。作業所うんぬんじゃなくてベンチャーでおやんなさい。大変だよね。でもやりがいがあるよ。とても大切な仕事だよ。がんばっておやんなさい。」
あるサイト[1]にこんな言葉もありました。「経営者というのは、何によって記憶されるのだろうかと考える・・・巨大な事業を興した人やその後の社会になくてはならない基盤となるようなイノベーションを生み出した人は、間違いなく永く人々に記憶されるだろう。だが、そのような事業はどのようにして興されるのか?と問うてみると、実はその奥底に潜む経営者本人の志というか執念というか、そうしたものの凄まじさこそが事業を生み出すのであり、それこそが経営者の本質であるということもできる。
・・・世の中に永く記憶されるタイプの経営者というのは、死ぬまで自分の志とか執念とかに忠実に生き、しかも業界団体や審議会などのポストを経由して緋色の絨毯の部屋に押し込められたりしなかった人なんだろうと思う。
ヤマトの小倉氏は、まあ確かに運輸省に喧嘩を売ったりもしたけれど、おそらくそういう「徐々に忘れ去られる」道にも踏み込めたし、実際ほんの少しだけ踏み込んだりしたこともあったけど、敢然とそれを蹴り飛ばし、死ぬまで自分の志に忠実であることを選んだ、希有な経営者だった。」
障害者支援の青嶺(あおね)ははるか遠い。しかしそれに向けた一つのルートを切り開いた小倉さんの志は永く記憶されることでしょう。
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