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夏休みに、親戚のイヌとネコを一週間ほどあずかりました。イヌは以前飼っていたので振る舞いは大体わかりますが、ネコははじめてです。それぞれにおもしろい。毎朝、散歩にイヌを連れて行くと、日頃、それほど話をしないひとが何人も「イヌを飼ったんですか」と声をかけてくる。イヌは撫でられるとおとなしくしっぽを振っている。近ごろのイヌはしつけがいいのかほとんど吠えない。いまや番犬も死語。「イヌが欲しいんでしょう」と訊くと、顔をほころばして、欲しいけど飼えない。いずれ面倒をみられなくなるから、という人が多い。
ネコにはまだ野生が残っているようです。振る舞いに意表をつくところがあります。暑い日、たんすの上、冷蔵庫の上、屋根のひさしの狭い隙間、と涼しい場所をいろいろ探して移動する。高いところからわざとモノを落す。筆者は「創意工夫がある」とほめてやりました。その一方、猫なで声で擦り寄ってきたり、ふとんの中にもぐりこんできたり。女性が赤ん坊を布でくるんで抱いて散歩している。近寄ってみると、仔イヌでした。今や飼いイヌやネコは「うちの子」です。ペットと人間の境目がぼやけてきました。
日本人には昔から動物と人間の間は連続している、共生しているという思いがありました。草木、石や山にも魂を見ました。高校でダーウィンの自然淘汰説を教わり、ヒトも魚やサルから進化したと聞いてもそれほど意外には思いませんでした。しかしヨーロッパでは、人がサル(の祖先)から生まれたという説は大きなショックであったようです。ダーウィンの「種の起源」が出てから150年経った今でも、米国では64%の人が「人間は神の手で作られた」と信じているそうです[1]。最近、米国では「知的な設計(インテリジェント・デザイン)」と呼ばれる新しい反進化論が台頭し、学校でも教えられ始めています。知的設計論は人間が下等な生物から進化した点を認めながらも、「生命の精妙な発展は偶然だけで説明できない」と指摘し、何者かによる「知的な計らい」が進化の方向を決めたと主張します。この設計主を「神」だと明言しない点が、従来の反進化論と一線を画する特徴といわれます。ブッシュ大統領が、知的設計論などを学校で教えるこことを容認する考えを示し、波紋を広げました[1]。
「生物学者・進化学者の中でも左翼の人は『人と生き物は違う存在だ』と考えます。人間は固有の知能を持ち、文化を持つ。人間を他の生き物と同一に扱うのは間違いだと主張する。さらに、生物学的あるいは進化学的に人間をとらえようとする学問は、そもそも政治的に誤っているとさえみなしています。」[2]
イヌやネコの動作、反応はなかなか巧みで、一見「考えて行動している」ようにみえますが、単にTPOのパターンに本能的な反応をしているだけかもしれません。それでも、人間だけが他の動物とは違った特別の存在という考え方にはついていけません。会田雄次は名著「アーロン収容所」[3]に「(キリスト教は)動物は人間に使われるために、利用されるために、食われるために、神によって創造されたという教えである。人間と動物の間にキリスト教ほど激しい断絶を規定した宗教はないのではなかろうか。・・・動物と人間との境界はがんらい微妙なところにあるのに、大きな差を設定するものだから、その基準はうっかりすると実に勝手なものになる。信仰の相違や皮膚の色がその基準になった例は多い」と書いています。そして、捕虜収容所で人間扱いされなかった体験をいくつも挙げています。
ヒトがサルと同じ祖先から生まれたとしても、ヒトが異常に進化したことは確かです。大脳新皮質は脳の中で高度な情報処理を行っている部分ですが、他の哺乳類に比べてヒトの大脳新皮質は極端に大きいといわれます。イギリスのサル学者ロバート・ダンバー(R.I.M. Dunbar)は、伝統的社会の中で人間はどのくらいの大きさの集団規模で生活しているかを調べました。それによると、狩猟採集社会では30〜50人くらい、原初的典型社会(氏族集団)では100〜200人(平均150人)でした。一方、ダンバーは、哺乳類36種の群のサイズと大脳新皮質の大きさを対数グラフにプロットするとほぼ直線に並び、大脳新皮質の大きい哺乳類ほど群のサイズも大きいことを見出しました。グラフにあてはめた回帰式(注1)にヒトに大脳新皮質の大きさを入れると150人(95%信頼限界で、100.2人〜231.1人)が得られ、これは伝統的な氏族集団の大きさとも一致し、この程度が哺乳類としてのヒトの集団の適正な大きさになるのだろうとしています[4]。
「集団サイズ150人」はダンバー数とよばれ、最近あちこちで引用されています。例えば「互いに気心が知れ、まとまって動ける集団の規模は、洋の東西、今昔を問わず、150人が限度らしい・・・
軍隊も会社も、宗教的な組織ですら、機能を発揮するための集団の規模は、150人でほぼ一致するという。軍隊の揚合、個別の活動の最小単位とされる中隊の規模は、200年前から150人で不変だ(注2)。兵器も作戦も情報システムも様変わりしたのに、人の数はそのまま。これがメンバーの相互信頼の臨界らしい。
個人のつき合いもことは同じ。ITの進展で、通信可能な相手は爆発的に増えたけれど、実際に返事をやりとりする範囲は、ほとんど広がっていない・・・」[5] [6]
ダンバーは、哺乳類の群のサイズは群を維持していく必要からくる大きさであるが、そのサイズを維持するためには仕組みが要る。その仕組みがないと群はばらばらになってしまう。哺乳類の群の場合、群のまとまりを保つ仕組み(ボンディングメカニズム)はグルーミング(毛づくろい)だといいます。動物園のサル園では年中、お互いに毛づくろいをやっていますが、それは単なるノミ取りではなく、信頼関係を確認し合う行動のようです。観察によれば、哺乳類の大きい群ほどグルーミングにかける時間が長くなる。この関係をヒトの集団150人にあてはめると、ヒトは50%近くの時間をグルーミングにかけなければならない計算になる。グルーミングは1対1の行為だから効率が悪い。それをカバーするのが「ことば」であり「相手の顔を見ての会話」だとダンバーはいいます。そしてヒトの集団の維持のためには、メンバーのさまざまな組合せで、7人以下、平均4人(本人+相手3人)の会話が頻繁に行われることが必要だとし、いろいろな調査事例を挙げています。通常の会話の内容は、決まり文句や儀礼的なもの、個人的な体験、他人のゴシップが60%も占めるが、それも集団のソーシャル・ボンディングのために欠かせない会話なのだ。機能的集団としてのまとまりが維持されるかどうかは、メンバーが直接的な個人的つながりを保てるかどうかにかかっているとダンバーはいうのです[4]。
しかし、現代の組織はほとんどが150人を超え、数万人、数十万人の企業もめずらしくありません。そのような規模の組織はどうやってボンディングを実現しているのか。ダンバーは、組織を階層構造にし、たくさんの役人(Control Official )を置いて強制力を働かせるしかない、といいます。
ところで、日本のプリント板業界の企業規模分布について、ここ20年ほどの推移を表に示しました[7]。
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