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ジョギングのスタート直後は少し体が重く感じられるものです。それが、しばらく走ると調子が出てきて気分が爽快になり、足が自然に前に出るようになります。このような状態はランナーズ・ハイと呼ばれ、ある種の麻薬が分泌されるため、とされています。ジョギングに病みつきの人は、難行苦行で走るのではなく、ハイの境地を楽しんでいるのです。ウォーキングでもこのように気分が高まる状態になることがあり、これをウォーキング・ハイといいます。リズミカルに20〜30分ほど歩いていると、足がひとりでに前に出る。あれこれの想いがとりとめなく頭に浮かんでは消えるが、不思議とつらいとか悲しい思いがない。抱えていた深刻な悩みも、他人事や、遠い昔のことのように軽く思えてくる、そんな状態になります。
イヌにもウォーキング・ハイがあることを発見しました。歩き始めは右に左にちょろちょろしている。そのイヌがしばらく歩いていると、耳を立て、顔をまっすぐ前に向け、とことことリズミカルに、ほとんど小走りに歩くようになります。一緒に歩いていて、あ、ハイになったなとわかるのです。
散歩の途中であるとき、ハイ状態で歩いていたイヌが、急に立ち止まって後ろを振り返りました。どうしたのかとあたりを見回して、やっとわかった。道のずっと先を、イヌを連れた人がこちらに向かって歩いてくるのです。イヌは遠くにそれを見て、できれば向こうのイヌと出会うのを避けたいと後ろ向いたのです。かまわず歩いていくと、しかたなく付いてきて、相手とすれ違うときは、頭と尻尾を下げ、横を見ないようにしてそそくさと通り抜ける。
以前、サルの出会いを研究しているひとの話を読みました。山道で、サル同士が出会ったときどうするか。距離が離れているときは、どちらのサルも出会わないよう、さりげなく道からそれて、林の中に入って行く。ばったり遭遇したときはどうするか。そのときは、お互い毛づくろいをして親愛の情を示す。通常は、順位の低いほうが毛づくろいをしてあげるのですが、2匹だけが遭遇した場面では、上下へだてなく、毛づくろいしたり、されたりする。3匹以上の場面では、順位に従って毛づくろいが行われる、というのです。クマもできれば人には会いたくない。動物の第一の戦略は、まず避ける、逃げることのようです。
一方、人間の社会では、「逃げる」、「避ける」には、消極的、卑屈、勇気がない、などマイナスのイメージが付きまといます。難敵、課題に果敢に立ち向かってこそ男の子ではないか、と叱咤される子どもが多いのですが、残念ながら、人の能力には差があり、がんばっても越えられない壁があります。叱咤されて奮起し、やり遂げる子も少しはいますが、できない子のほうがずっと多い。会社でも、まじめに仕事をするが、要領がよくない、才覚がない、口が達者でないという人がいます。そういう人は負け組に入れられ、いつも損をしています。負け組も生きていかなければならない、生きがいも欲しい。どうするか。がんばれば勝ち組の仲間入りができるのか。サルの世界の現実を見ると、その道はなかなか難しそうです。
「霊長類の群れのなかでは、様々な敵対的交渉が見られる。相手を追いかけ回したり、叩いたり噛みついたりという激しい攻撃も時には起こる。しかし全体としては、採食中の個体にある個体が近づくと、近づかれた個体が食物を放棄して去るとか、「泣き面」と呼ばれる歯をむき出す表情をして及び腰になるとか、そのような程度の交渉の占める割合が多い。こういう交渉がどういう組み合わせでどの程度見られたかを表にすると、多くの種、集団を通じて共通した特徴が見られる。まず、「勝者」はほとんど決まっている。攻撃を仕掛けるのはいつもA、泣き面をして避けていくのはいつもB、といった具合である。長期的にみれば変化することもあるのだが、一定の期間でみればこの関係はかなり安定である。このとき、Aさんを優位個体、Bさんを劣位個体と呼ぶ。」[1]
人を優位、劣位に分けるのははばかられますが、負け組に属す人が多いのは確かでしょう。じゃんけんのように、何回かトライすれば、そのうち勝てるというものではない。とすれば、負け組にはどんな生き方が可能でしょうか。森永卓郎さんは「年収300万円時代を生き抜く経済学」[2]で、負け組の戦略について論じています。森永さんは、小泉構造改革を、アメリカの言いなり、金持ちのための、弱肉強食の政策と痛烈に批判しています。しかしそのことより、以下に抜粋するような森永節が刺激的であり、その目線の低さに共感をおぼえます。
「『勝ち組』になれるのは多くても1割だ。残りの9割の人たちは現在よりも収入が減っていく。・・・これまでの平等社会から一人、また一人と落ちていき、残れるのはほんのわずか。そして、そのわずかの人たちが、残りの一般庶民を奴隷のように使っていくのだ。そして、一度一般庶民層に落ちると、そこから這い上がることは、孫子の代まで困難になる。・・・個人間の格差は拡大する。原因は、一つは弱者の切り捨て、もう一つは、経済のサービス産業化のためである。サービス産業化すると放っておいても格差は拡大する・・・サービス産業では、第一次、第二次産業と違い、個人個人が仕事で生み出す付加価値は人によって大きく違ってくるからだ。その結果、構造的に格差は拡がってゆく。おそろしいのは、仕事の量も時給の高い方へと集中していくことだ。」といい、今後日本は「1億円以上稼ぐような一部の大金持ちと、年収300万〜400万円ぐらいの世界標準給与をもらう一般サラリーマンと、年収100万円台のフリーター的な人たちの三層構造になる。」と予想しています。しかし、つづけて、「エリート・ビジネスマンは社会の『必要悪』と思っている。・・・社会には必要だ。だが、彼らのようなライフスタイルを全員が踏襲する必要性はどこにもない。それを真似ようとするから、暗くなってしまうのだ。『自分は勝ち組になれる』という幻想を捨てろ。」と言います。年収300万円は欧米では平均的な年収だそうです。この本では、この年収で、つつましく、しかし、心ゆたかに暮らす知恵と工夫の数かずをこと細かに述べています。
世の中は常に優勝劣敗、弱肉強食で、弱者は負けとわかっている試合をつづけなければならないのか。強者だけが生き残り、弱者は消えてしまわないのか。動物の世界では、強者と弱者が共存しています。強者のDNAだけが遺伝するのではないらしい。どういう仕組みで共存が成立するのか、それは生態学永年の課題だったようです。
2005年のノーベル経済学賞はイスラエルR.オーマン教授と米T.シェリング教授が受賞しました。「ゲーム理論」を冷戦下の安全保障問題に応用した「紛争と協調」の研究が評価されたということです[3]。
表はチキンゲームの例です。お互いが妥協すればある程度の得点が得られる。一方が強引に出て、相手が引いてくれれば、得点は増えるが、双方突っ張りあうと得点がゼロになる(双方傷つきプラスがない)ケースを示しています。強引に攻撃を仕掛けようとすると、相手から妥協を引き出すどころか、逆に相手の強引な戦略を誘発してしまい、共倒れになる可能性がある。シェリング教授はこのような論を展開して米ソ核戦争の回避に貢献したといわれます。なお、チキンゲームのチキンは鶏肉ですが、臆病者の意味もあり、どちらが弱虫かというゲームなのです。
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