JPCA Home / Back / Menu / 前号 / 次号

JPCA NEWS 2006.6

古いものと古くなるもの

 5S(整理、整頓、清潔、清掃、躾)は日本のものづくりの基本ですが、海外でもまじめに取り入れている企業がたくさんあります。以前見学したヨーロッパや中国の工場にも5Sのカンバンが掲げられていました。あるEU企業の人から、日本で工場見学したときローマ字で書いてもらった5Sの標語(Seiri, Seiton, Seiketu, Seisou, Shituke)を見せて、どういう意味かと訊かれたことがあります。たしかに外国人に「5つのS」ではわからないでしょう。漢字の国、中国の工場では整理、整頓、清潔、清掃がそのまま使われていました(躾は規律となっていたと記憶)。しかし中日辞典[1]を引くと、整理はzhengli、整頓はzhengdunであり、頭はSでありません。筆者の友人はアジアの国々を回り、生産性向上、人づくりの支援に活躍しています。現地企業の指導では従業員の意識改革、作業能率向上に5Sを据えているそうです。現地の人にどうやって5Sを教えているのかと訊いたところ、「工場を回って汚い場所を見つける。そこを片付けさせて、きれいすると気持ちがいいこと、作業しやすいことを体感させる」とのことでした。

 ところで、「整理」の意味を広辞苑で見ると「(1)乱れた状態にあるものをととのえ、秩序正しくすること。(2)不必要なものを取り除くこと。」とあります。これを中日辞典[1]で引くと「秩序正しくする。整える」とだけあって、不必要なものを取り除くという意味が出ていません。「整理」は「整頓」とほとんど同じで、対象が大きく、抽象的な場合は整頓が、小さく、具体的なものについては整理が使われる、とあります。整理は日本では「人員整理」などときびしい意味にも使われますが、中国語の「整頓」には「粛清する」の意味もあって、こちらのほうが怖い。

 筆者の部屋は、ものを動かされると困るので、掃除は自分の責任です。ほこりがたまってきたり、書類が埋没して探せなくなると、やむなく重い腰を上げて掃除にかかります。掃除機をかけるより整理がたいへんです。DMや雑誌は未開封のまま新聞の切抜きなどと一緒にソファーの上に放り投げてあり、ショーやセミナーでもらったカタログや資料は大きめの紙袋に入れ、付箋をつけて、床に並べてある。資料類は野口先生の「超整理法」[2]で整理しています。書類は何でもA4紙封筒に入れ、右端にタイトルと日付を書いて、書棚の左から順に入れていく。必要な書類を抜き出すと、使用後はまた書棚の左端に戻す。古い資料、使わない資料はだんだん右に移動していく。書棚がいっぱいになったら右端から書類からあふれる。あふれた書類は「黙って捨てる」。これが合理派の野口先生の流儀です。書棚の幅は1メートルもあればよいという。しかし、筆者の書棚の幅は1メートルよりずっと長いのに、あふれた書類を黙っては捨てられない。床に座り込んで、書類の要る、要らないを仕分けます。しばしば書類を読み出すので作業ははかどらない。読んでおもしろかった本、思い出、愛着のある本や資料は残します。亡くなった友人の手紙などは捨てられない。迷うのは、じっくり読めば役に立ちそうな資料、論文、雑誌です。棚からあふれた資料であり、何年も読めなかったものなのにもったいないと思ってしまう。

 整理しながら気づいたのは、「捨てるのは古いものではない、古くなったもの。残すのは役立ちそうなものより、愛着のあるもの。」ということです。ヨーロッパでは町並みや建物、家具でも古いものを大事にするといわれます。日本人は、何でも新しいものがよいと思う傾向があるようです。友人のカメラマニアは新製品が出るたびに買っている。10台以上持っている?と訊くと、100台以上というのにおどろきました。筆者も結構新し物好きでGPSやデジカメなどの小物をつい買ってしまう。そのくせモノを捨てられない。筆者はこのごろどこへでかけるのもウォーキングシューズ。すり減ってくると、散歩用におろして履きつぶすことにしています。しかし、なかなか穴が開くまでにつぶれない。外出用に2年、散歩用に5年の感じか。お下がりのほうが多いので散歩用がたまる。最後は、庭仕事の地下足袋代わりに物置送り。たいていのモノは(人の体も)、少し痛んできてから先のほうが長い。そして、生まれた仔猫を捨てるのがつらいように、生きているものを捨てるのには抵抗があります。「もったいない」の気持ちが抜けません。こうして使われることのないガラクタがたまる。

 モノは迷いながら捨てる。しかし、いったん捨てると、とたんにモノは古びて汚いゴミに変わります。こんなコラムがありました[3]

「商店街には看板の汚れや錆を放置している店が結構ある。・・・「店が古いから客が来ない」という店があるが、それは間違い。店に客が来ないのは古いからではない。汚いから来ないだけの話だ。

 新車を買った時や、靴を買った時、人間は商品が新しい時ほど、一生懸命に手入れする。そして、古くなるほどほったらかしになりがちになる。そして古い車、古い靴は表面に細かい傷ができるから、ほんとうは古くなるほど一生懸命掃除しなければいけない。手入れ不要の新品を一生懸命磨き、手入れが必要な古いものの手入れを怠る。つまり人間は、古いものの手入れや掃除は必要なのに、逆にやらなくなるのが普通なのだ。

 ・・・古くても、きれいに手入れされていれば、消費者はそんなにいやな感情を持つことはない。それどころか、古さに価値を感じてくれるだろう。たとえば京都や川越などの町並みは古い。でもきれいに掃除されているから、観光客は「古さがすてきね」と言ってくれる。」

 「馬鹿の壁」の養老先生の持論は「手入れの思想」です。「手つかずの自然」ではなく、「人の手の入った自然」こそ日本の社会の特徴といいます。「思うままにならない自然を毎日すこしずつ手入れする。田んぼの手入れも、子育ても、自分自身の顔の手入れも同じ原則。日本はそういうことを大切にしてきた社会だから割合に居心地のいい、均整の取れた社会だった。今は子育ての原理、仕事の原理とばらばらで、どちらかというと都市のイデオロギーが人の関心を集める。「ああすればこうなる」と考えている。子供もいじればなんとかなる。自分の顔もいじればなんとかなるという話になる。無理がきますよ。無理は長続きしない。コントロールできないことは、自然にまかせて、時々手入れをしてやればいいんじゃないですか。」[4]

 プリント板のデザインルールは年々ファイン化がすすみ、先端レベルではライン/スペース10ミクロン台も現実になりつつあります。しかし、その製法はこの数十年それほど大きく変わっていません。要素技術であるエッチング、めっき、はんだは数百年、数千年の歴史のある古い技術です。原理的にコントロールがむずかしい、ほとんど「自然」といってもよいような部分があります。それを長年にわたるあまた無名の現場技術者による地道な手入れによって、とどまることのないパターンファイン化のニーズに何とか対応してきました。古いけれど、今なお古くさくはなっていない技術なのです。これからも新聞、雑誌のニュース面はあたらしい「原理」のお話が飾るでしょうが、次の世代のプリント板製造も古い技術の手入れによって支えられていく部分が大きいと思っています。


[1] 「中日辞典」(小学館1992)
[2] 野口悠紀雄「超整理法」(中公新書)
[3] 「正しい掃除の仕方」http://www.koyanagimeijin.com/keitai.html
[4] 養老孟司・茂木健一郎「スルメを見てイカがわかるか!」(角川書店2004)

「古くても、古くならない街並み」

JPCA Home / Back / Menu / 前号 / 次号

社団法人日本電子回路工業会
JPCA-Japan Electronics Packaging and Circuits Association