
JPCA NEWS 2006.9
いじれるモノ
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この夏休み、小学生の自由研究を手伝いました。友人から貰った電子オルゴールキットを組み立てることにします。友人は導電ペーストで簡易プリント板を作り、キットを組み立てる「電子工作教室」を各所で開いています。キットはユニバーサル基板に導電ペーストでパターンを描き、IC1個、トランジスタ2個、ボリューム1個とスピーカーをはんだ付けするだけです。やっと組み立てて、おそるおそる電池をいれるといきなり「エリーゼのために」のメロディーが流れ出し、子どもたちに歓声が上がりました。 夏休みで気が重いのは宿題。休みもあと数日となって、宿題が山ほど残っていると、子供より親がやきもきします。子どもの頃、自由研究を親や兄弟に手伝ってもらった人は多いでしょう。叱られながら一緒にやった思い出は大人になっても忘れないものです。 キットは小学5年と中学2年で組み立てましたが、おどろいたのは、オームの法則を知っていても、はんだこてを使うのははじめて、テスターの目盛りも読めない、ということでした。モノにぜんぜん触ったことがないのです。この先、日本の「ものづくり」を担ってくれるのかなといささか心配になりました。 筆者の周りには根っからの技術屋、「ものづくり」の主のような人がたくさんいます。その人たちに共通しているのはモノに対する愛着です(愛玩に近いか)。この人たちが健在なうちは日本のものづくりはまず大丈夫。残念ながら、その多くは50代(若くて40代)なのです。 もっと若い人たちはどうか。最近、大学受験生の工学部離れが急速に進んでいるようです。私大工学部の45%が定員割れ。工学部の3Kイメージ。かつて理系の上位半数が理工系に行ったが、今はほとんどが医学部志望とか[1]。特に電気系への志望が減っているらしい。ある先生によれば、機械系の志望者のほうがまだまし。機械のほうが自分でいじれる部分が多いから。電気でも学生の多くがソフトに向かい、ハードに行くのは少ないそうです。 なぜこんなことになったか。筆者はモノがいじれなくなったからだと思います。昔の小学生は自転車をばらして組み立てた、ゴムのりでパンクも直した。置時計も手回し蓄音機もばらした(おおかたは元に戻せなかったが)。ラジオも作った。「アメダマ(アメリカ製真空管)」が珍重された。団塊以上のプリント板関係の人には、無戦やラジオに凝ったという人が多い。2A3などという真空管の型番を挙げると目が輝く。みなモノをいじってきたんだなあと思います。 いまはモノが格段に高性能になった。そしてマニアは別にして普通の子どもやアマチュアには手の届かない遠いところに行ってしまった。「電子化された今のおもちゃを分解しても機械への興味はわかない。子供がもの作りに関心を持ちにくくなった」[1]。モノは使うだけのもので、作ったりいじったりするものではなくなったのです。 ロビンソンクルーソーは、難破船から拾ってきたわずかな材料を使って、いろいろな道具を作りました。その工夫の過程が子供心を引きつけるのです。十五少年漂流記もその魅力。岩窟王でも何年もかけスプーンで壁を掘り進めてついに脱獄するところが空想をかきたてる。日経の「私の履歴書」がおもしろいのは筆者の実体験だからです。8月の執筆は小堀宗慶さん。遠州茶道宗家12世ということであまり期待していなかったが、酷寒のシベリアでの4年間の抑留体験がおもしろい。 「・・・零下30℃台ともなると、火をつけても木の枝がパチパチと燃え盛ることがない。くすぶる煙の中に手や顔を突っ込んで暖をとった。火種の確保にも困った。私は家の神前で毎朝、火打ち石で切り火をしたのを思い出した。鉄のような金属と硬そうな石を打ち合わせた時が一番具合良くポッと火花が飛んだ。それを、衣服の綿を炭にしたものに移したが、綿では余り効果がなかった。 山に生えているサルノコシカケのようなキノコを乾燥し試したら、傘の裏の網目状の部分にうまく火が回った。そこで毎朝、炊事場でサルノコシカケの裏面に火をつけ、現場に行く間それを静かに振って火種にした。サルノコシカケの火種はさまざまな工夫の中で最高の成功例だった。 ・・・ 我々日本人捕虜が寝起きする収容所は丸太小屋である。・・・丸太を組んで壁や屋根を作ってゆくのだが、この壁が難問だった。 幸いなことに私は子供のころ、父に連れられていった建築現場で、左官の仕事をじっくり観察、壁を塗る要領を覚えていた。丸太を組み合わせただけの壁はすき間だらけ。零下40℃、50℃のシベリアですきま風は命取りだ。精密に壁を塗る必要があった。 ところが、いきなり土を丸太の壁に塗りつけても、すぐにはがれてしまう。私はシベリアの大地を分厚く覆うコケに目をつけた。コケをまず丸大のすき間にぎゅうぎゅう詰め、その上に細い板をはすかいに打ち付けた上で土を塗るとうまくいった。 ・・・ 松の皮も塩ゆでにして食べた。がさがさした外皮と幹の間の青い甘皮をはいでゆでるのだ。これは私の知恵ではなく、東北出身の兵隊が聞き覚えていたことだった。飢饉に襲われた時のことを祖父から聞いて覚えていたのだという。ちょっと干瓢に似た食感で、消化は悪いがその分腹持ちが良く、すぐに満腹になり重宝した。昔の人の知恵は侮れないものである。・・・[2]」 小堀さんは4年間シベリアに抑留され、強制労働させられました。戦時中は小隊長(小隊の規模は普通30〜80人)でしたが、抑留生活中もその組織をまとめ、次々死んでいく仲間を精一杯弔いながらも、上のような工夫で他の部隊に比べ犠牲を最小限にとどめて帰国させました。年譜で計算すると小堀さん22〜25歳のときです。 茶道宗家の御曹司にどうしてこんな臨機応変の行動がとれたのか。それは幼いころから火打ち石で火を起こし、現場で職人の仕事を見てきたからなのです。人柄だけでできることではないでしょう。自分では作らない、食べ歩きだけのグルメ族が一流のシェフになれるわけがない。スポーツでも碁将棋でも天才は幼児のころからボールや駒とたわむれています。体験するのは早いほうがいい。大学受験前になって、急に理系、電気を勧めても、勉強は難しそうだし、親や先輩を見ても仕事は地味できつそう、と敬遠されるのがおちでしょう。好きなら別です。好きなことなら苦労は承知、3Kといわれる仕事もそのうちおもしろくなる。実際、まともな仕事で3Kでないものはない。 新聞の「苦境に立つ工学部 技術立国 減る担い手」[1]の見出しは刺激的ですが、記事を書いたのは多分ジャーナリスト志望の記者で、しょせん外野です。ものづくりはこれからの日本が生きる道と訴えるだけでなく、幼い頃からモノが好きになる環境に浸すことが必要と思うのです。近頃、「ものづくり塾」のような催しが各所で開かれています。よく工夫された企画で、参加者もおもしろかったといいますが、ものづくりにはまったとはあまり聞かない。「電子工作教室」をやっている友人のアンケートでも、実習の後、興味を持ったというのは40代、50代のおじさんで、若い子の興味はいまひとつのようでした。キットは組み立てれば、かならず動く。失敗がない、苦心がいらないのがキットの限界かと思います。やはり自室にこもりああでもない、こうでもないと試行錯誤の末、やっとラジオが鳴り出すといった「いじる時間」が必要なのでしょう。 近頃の若者は安易につきたがると嘆くのではなく、時間をかけていじれる、工夫の余地があるモノを幼い子どもに与えることが大事だと思うのです。子どもをプリント板が好きになるようにするにはどんなモノがあればよいでしょうか。 |
| [1] | 「苦境に立つ工学部」(日経06/8/17) |
| [2] | 小堀宗慶「私の履歴書」(日経06/8/16〜8/18) |
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「からくりの仕掛けは「いじり」の極致」
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