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JPCA NEWS 2007.3

枝様末節

 多摩の雑木林を歩いていると、立派な双眼鏡やカメラを手にした人によく出会います。1メートル近い望遠レンズを背負って林の中を歩き回る人、カメラの三脚を据えてお目当ての鳥がやってくるのを日がな一日待つ人。それぞれ一人で行動していて、集団で群れていないのがいい。先日、おばさんがカメラを空に向けて構えているのを見かけました。「何を撮っているのですか」と聞くと、「木の梢」という。大木が、芽のふくらんだ無数の枝をいっせいに抜けるような青空に向けて伸ばしているのは美しい冬の景色です。植物の生気を感じさせます。

 それにしてもと思う。木の形は樹種によってどうしてこうも違うのか。図は筆者の散歩コースで見る木の樹形のいくつかです。下のほうの枝が大きく広がり、高くなるにつれ円錐状に細くなっていく木もあれば、反対に上に行くほど枝が広がる木もある。ウメは剪定しないと勝手な方向に枝を伸ばして形が定まらないが、ハナミズキは手を加えなくてもすんなりした樹形がくずれない。


 動物も植物もその一生はつまるところ栄養、エネルギーを取り込んで成長し、子孫を残すことです。植物は太陽エネルギーと土壌の水分、栄養分で成長する。太陽エネルギーをいっぱいに受けるため、枝をより高く伸ばし、より広く広げようとする。その行動の結果として樹形が決まるはず。にもかかわらず樹種によってこんなに樹形が違うのはどうしてか。目標はひとつでも、樹種ごとに違う戦略が選択されているのでしょう。そして競合しながらも一方的に勝敗が決まるのではなく、境界を接しながら共存しているのがおもしろい。

 生物は何十万年かけて進化してきたきわめて巧妙、複雑なシステムですが、人間社会、経済の仕組み、振る舞いも生き物さながらの複雑さです。日々、教育の荒廃、格差、いじめ、自殺など深刻な社会問題が報じられます。そのたびにマスコミは誰かを槍玉にあげ、態度が悪い、お粗末と徹底的にたたきます。その人たちが消えると問題ごときれいに忘れ去り、次なる標的を探す。

 さいわい大多数の国民はマスコミの言うことはほどほどに聞いて、自分の常識とバランス感覚で行動しています。それで社会の安定は保たれているのです。最近は「変わらなければ」というスローガンをあまり聞かなくなりました。変わることが必要な部分があっても、まるきり変わってしまっては生物として生きていけないからでしょう。生物が何十万年かけて身に付けた知恵はヒトにも代々受け継がれて、常識やバランス感覚として生きているのでしょう。

 先日、東大大沼先生の投稿を共感を持って読みました[1]
「この10年以上のあいだ、日本社会は「歴史認識」をめぐる論争で引き裂かれてきた。・・・ 戦争責任、愛国心、こういった問題が起こるたびに、過去への反省を説く「リベラル」と、そうした「自虐」を批判する「愛国派」との対立を見せつけられてきた。メディアはこの図式に乗った「激論」番組や特集を組んで「論争」を紹介してきた。

 だが、ほんとうにそうなのか・・・」として下に掲げる最近の世論調査の結果(1/25付朝日)、
●日本に生まれてよかった:94%。愛国心がある:78%。アジア諸国への侵略や植民地支配に対して反省する必要がある:85%。
●愛国心あり×反省する必要あり:88%、愛国心なし×反省する必要あり:63%。
を引用し、「反省するリベラル=非愛国主義者」対「反省は恥ずべき自虐と見る愛国主義者」という対立が、まったく国民の意識から乖離した虚偽の図式であることを物語る。・・・嫌なニュースが多い最近の日本に、こうしたまっとうな感覚があることをうれしく思う。・・・」と結んでいます。筆者も多数派のひとりですが、周りにはいまなお侵略を認めない先輩や、年賀状に「皇紀2600何年」と書いてくる御仁もいます。

 テレビでやっている教育や社会のありかたをめぐる議論にむなしい思いをすることが多い。百論百出、議論は白熱しても言いっぱなし。それぞれ一理はありながら主張を曲げないのでコンセンサスに至らない。ものいわぬ動物や植物は、進化の過程で蓄積した知恵をその姿や行動の上に体現しています。それらはわたしたちの考え方、行動にも示唆することが多いのではないでしょうか。ときに幼児のしぐさにはっとさせられるように。

 樹形には樹種ごとに自身の特性に合わせた、多分、攻めより受身の戦略があるようです。以下は研究報告からの抜粋です[2]

 「・・・植物は、広がるにしろ高く伸びるにしろ、体を作るための材料とエネルギーを必要とする。・・・広い空間に根や葉を置きたい、でもそのためにはコストがかかるというジレンマのなかで樹木は進化してきた ・・・

 おなじ種類の木が長枝と短枝の2通りのシュート(茎とそれに付いている葉をまとめたもの)をつくることがよくある。長枝は長さが数センチ〜数十センチの長く伸びた茎に葉がついたふつうの枝である。いっぽう短枝は,枝が数ミリ〜1センチ程度とほんのわずかしか伸びない寸詰まりの枝で、その短い茎に何枚も葉をつけているものも多い・・・

 長いシュートは長さのわりに葉面積が大きくない伸長指向、短いシュートは短いながらも何枚も葉をつけている葉面積展開指向という傾向が見られる。・・・ひとつの仮説として、枝を伸ばしてあらたな空間に進出する役割とその場で葉を広げて光を受ける役割をシュート間で分担すると,支持器官にかけるコストが少なくてすむのではないかと考えられている。」

 庭木を見ると確かに短い枝に葉っぱが密生しているところがある。剪定するときは容赦なく切ってしまうが、木にとっては効率のよい大事な生産場所のようです。

 「地面近くには,高木の日陰に甘んじながら暮らしている木々がいる。そのなかには、いくら環境に恵まれても数メートル以上にはならない低木樹種もあれば、光さえあれば成長して林冠に到達する高木樹種の稚樹もある。

 屋久島の常緑広葉樹林の林床に生育している木々の高さと水平方向のひろがりを調べたところ、光不足の林のなかで生きる木の構造には、高さ指向の樹種と、横方向の広がり指向の樹種の2グループに分けられた。高さ指向タイプは、広がりは少ないがその分高かく,上の木が死んで明るくなるといちはやく成長してその空隙を埋める。横方向広がりタイプは高さよりも広がりに重点をおいた構造をしており,長期間の光不足のもとでも生存できる。今の光を求めるか,いつか射す太陽に備えるかによる構造の違いが考えられている」

 高木の下、林床に届く少ない光の中でもたくましく生きる樹種と、いずれ高木が枯れるのを待って、急成長する樹種があるというのは、人間社会にも共通するようでおもしろい。松坂のいるときは目立たなかった若手が、松坂が去った後、一気に伸びてくるように。プリント板メーカーには差す光の少ない環境下でもじっと我慢してしぶとく生きるタイプが多いでしょうか。

 樹形を調べていておもしろいのは面積保存則(ダ・ヴィンチ則)。枝分かれするにつれ幹は細くなるが、上の幹と枝の断面積を合わせると一定であるという法則です。幹が2本の枝に分かれると、枝の直径は1/√2(=0.707)倍になる計算です。散歩の途中、2,3の木を実測してみました。図は一例ですが、他の木についてもダ・ヴィンチ則がほぼ成り立つことを確認しました。

 「枝葉末節」は辞書には「中心から外れた事柄。本質的でない、取るに足りない事柄」、英訳では“unimportant details”とありますが、枝葉末節には奥の深い本質が隠されているようです。

[1] 大沼保昭「歴史認識と愛国心 国民の感覚を大事に」(朝日07/2/12)
[2] 竹中明夫「資源獲得戦略としての樹木の形作り − 「枝葉末節」から本質へ 」
 http://takenaka-akio.cool.ne.jp/repro/seibutsukagaku/index.html


林間の木々。それぞれの戦略で共存する。

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