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JPCA NEWS 2007.7

においとものづくり

 友人の娘が小学生の頃、「パパのトイレの後はくさくていやだ」といっていました。筆者は「誰のウンチもそれぞれに臭うもんだ。でも、それを口にしてはいけないよ。」といってやりました。中学生になるともうこんな話はしません。成長して、オヤジをひとりの人間として認められるようになったのでしょう。

 女性の、職場のオジサンに対する評は手きびしい。「8割までが、『オジサンはにおう』、『汚いと思う』と答えた。別の400人の女性対象に行った調査では、『いやなにおいの人とは?』への回答は、(1) 酔っぱらい(84%)、(2) おじさん(60%)、(3) 年寄り(26%)、(4) 政治家、おばさん(8%)だった[1]」。4位に政治家が顔を出すのがおかしい。オジサンはにおいと態度が結びついていやな思いを起こさせるようです。「よれよれの白いシャツで開き直っている態度が耐えられない」とか。身に覚えのある筆者は肩をすくめるばかりです。

 近頃は、破れズボンをひきずっている若者もあまりにおいません。ときに、ほのかな香水の匂いすらする。朝シャンで体をみがきあげているのでしょう。考えてみるとたいへんぜいたくな時代です。たいていの家に風呂がついて、毎日入れるようになったのは昭和30年代(プリント板産業誕生の頃)。それまでは庶民は洗面器にタオルと石鹸を入れて銭湯に通った「神田川」の時代です。そのころは風呂代がかかるので毎日は入れませんでした。それでも日本人は昔から世界でもまれな清潔好き、においの少ない民族とされています。

 「スイスの会社に勤務していた時、日本を初めて訪問した上司が、日本についての最初の印象が「日本人にはBOが無いんですね」と極めて驚嘆するような発言をしていたことが強く印象に残っています。BOは英語の体臭(Body Odour)の略。つまり、日本では体臭そのものが無いのが当然であることが、ヨ−ロッパ人にとってみればまさに驚嘆すべき現象なのかもしれません。 [2]

 一方、次のようなコメントもあります。「外国人からよく言われる。日本の空港に着くと、独特のむっとした匂いがする、と。日本人の国民臭とは、実はこうじのにおいなんですね。韓国ならにんにく、欧米ならチーズやバターの匂いが、自然に皮膚から発散している。同じ国民同士は、まったく気がつかない。[1]

 ヒトは五感(視、聴、触、味、嗅)によって外界を感知しています。情報の80%は視覚からくるというし、聴覚情報も多い。それが映像や音の文化を可能にしているのです。一方、味覚、臭覚になると内容があいまいで、何ビットなどと定量化することもむずかしい。言葉で表現するにも苦労する。グルメ番組で出演者はみな食べた料理のコメントに苦心しています。しかし、においは動物同士の、人と人のコミュニケーションで言葉以上にものを言うようです。そして、具体的なモノのにおい以外に「どうもクサイ」「なにやらニオウ」などと使われます。

 味覚、臭覚はもっとも原始的な感覚で、その源は生物進化の過程の魚時代にさかのぼるという説があります。個体発生は系統発生を繰り返すという。生物が魚から爬虫類を経て哺乳動物になっていく進化の過程を、ヒトの胎児は受胎から目鼻の付いた赤ん坊として出産するまでに経験するというのです。以下は吉本隆明の本からの抜粋です[3]

 「ヒトの胎児は受胎して36日目に上陸する。顔のつくりは魚から爬虫類にかわり、心臓には左右の隔壁ができる。・・・上陸したときの空気呼吸の準備のため、身体の器官はかわってゆく。・・・魚みたいな水棲の生物では、鼻(腔)の嗅覚機能と呼吸機能とはまだひとつだった。水の流れを感知しながら同時に水に溶けた酸素をとりこむ単一のリズムをもっていた。いってみれば匂い以前の匂いを感じて、水の流れの方向や水の質や水の変化を知り、同時に呼吸以前の呼吸作用で、水に溶けた酸素を吸収していた。

 匂いはここまでさかのぼれば感覚の起源としての「触知」それ自体を指している。・・・触覚や味覚や聴覚などが分化しはじめるのが受胎後5〜6ヵ月目とされているから、嗅覚はそれよりずっと以前で、いわばすべての感覚の全体的な起源にあたる「触知」自体を意味しているとみてよい。

 わたしたちが「香を聞く」とか「花の色が匂う」とかいうように「匂う」という概念を嗅覚だけではなく、視覚とか聴覚とか触覚とか、ばあいによっては「かれには恋人の(いる)匂いがするぞ」「かれの表情には生活の匂いがない」といった「気配」の意味にまでひろげて使われるのは、とおくヒトが魚だった時期にさかのぼれるからだとも言えよう。」

 環境省ほかの主催による「感覚環境づくりシンポジウム」に出てみました。環境問題は世界が直面する緊急の課題ですが、ここでは、生命、大気汚染、地球環境などにかかわるグローバルな視点でなく、人が生活し、共生する場としての地域の環境をどう守り、改善していくかをテーマに地域の音、照明、匂いなど五感をはぐくむ取り組みの発表とパネルディスカッションが行われました。

 共通して語られ、印象に残ったのは個人的な体験とその記憶が大切ということ、そして、体験する五感のなかでもにおいがおおきなウェイトを占めることでした。環境省が選んだ「かおり風景100選[4] 」がおもしろい。花のかおり、潮のかおり、温泉の湯けむりが選ばれるのは当たり前ですが、地域の人々の生活に密着したにおいが取り上げられているのがうれしい。以下はその一部です。

 ・草加せんべい醤油のかおり
 ・江東区新木場の貯木場
 ・神田古書店街
 ・浜松のうなぎ
 ・半田の酢と酒、蔵の町
 ・答志島和具浦漁港の塩ワカメづくり
 ・祇園界隈のおしろいとびん付け油のかおり
 ・東西両本願寺仏具店界隈
 ・ならの墨づくり
 ・鶴橋駅周辺のにぎわい(焼肉屋、キムチなど食材のにおい)
 ・高野山奥之院の杉と線香
 ・吉野川流域の藍染めのかおり

 旅行をして、いろいろな風景に接し、においと一緒にそこに生きる人々の仕事や生活に接すると、その体験は長く記憶に残ります。そして、後日テレビなどでその風景を見ると、再びそのにおいがよみがえり、感動を新たにすることができます。

 「シミュレーションゲーム『ほくのなつやすみ』というソフトを子どもにむけて発売したところ、子どもたちの親がそのゲームにはまってしまった。夏休みの田舎が舞台。虫をとったり海で泳いだり、さまざまな自然に出合う。これまでのゲームとひと味違うのは、本当に存在する自然の風景を忠実に写し、舞台となる「田舎」「海」の景色が描かれている点。川のせせらぎやセミの声など、大人たちが昔、田舎で少年少女だったころに出合った懐かしい風景や音、光や色の質感が、そのままゲーム上に生かされている。多くの親たちは、その「懐かしさ」に反応したのだ。

 夏の田舎という懐かしい舞台で遊び、全身で感じとった「五感の記憶/感覚の故郷」。それがしっかりと自分の中に眠っていたからこそ、大人たちは揺さぶられた。それが、ゲームにはまってしまった原因だった。

 では、いまの子どもたちが大人になったとき、彼らの「感覚の故郷」はいったいどんなものとして記憶されているのだろうか? 私たちが作り上げてきた社会は、そうした「懐かしさ」を想起する「感覚の故郷」を、子どもたちにどれほど豊かに、多彩に提供できているのだろうか?」[1]

 プリント板産業が始まったころ、電車の中は汗臭かった。プリント板の工場もめっき液やエッチング液のにおい、樹脂のにおい、はんだの焼けるにおいが充満し、空調もままならぬ中、汗だくでモノをつくってきた。いま工場は自動化がすすみ、人手でモノを扱う部署が減りました。現場のにおいも少なくなっているでしょう。しかし空調のきいた部屋でテキストやビデオで勉強した知識は、においや触感とともにおぼえたモノについての理解には遠く及ばないでしょう。若い技術者、監督者にも、現場のにおいを嗅ぎ、モノに触って確かめる体験が重要だと思います。


[1] 山下柚実「五感喪失」(文芸春秋1999/11)
[2] http://www.world-reader.ne.jp/renasci/another/s-suzuki-000712.html
[3] 吉本隆明「匂いを読む」(光芒社1999/4)
[4] 「かおり風景100選」(環境省)http://www.env.go.jp/air/kaori/index.htm


道祖神のある風景。草いきれ、ムギのにおいと村人の暮らしが浮かぶ。

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